木材保存誌コラム

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古田敦也チャリティゴルフ大会

虫めがね vol.46 No.3 (2020)

昨年十二月に第二十八回古田敦也チャリティゴルフ大会に参加した。わたしはプロ野球には詳しくないので、古田は元プロ野球の名捕手で、その後、監督を務めた人であるという程度の知識しかなかった。ただ、友人から彼は市の少年野球の育成に尽力されており、その為の育成資金集めのチャリティゴルフなので、ぜひ参加して欲しいと強い勧めがあったので参加した。

ゴルフは川西市の名門ゴルフ場・鳴尾ゴルフ倶楽部を一日借り切って行われた。参加者は一一九名。古田は、ゴルフのプロではないが、運動神経は抜群で、3アンダーで十三位であった。ここで集まった資金は川西市少年野球連盟に寄付された。ゴルフの成績表彰式には、川西市長も駆けつけて祝意を述べられた。

鳴尾ゴルフ倶楽部は大正九年創立で日本では三番目に古く、歴史あるコースである。適所に深いバンカーが在るのが特徴である。A・パーマーやG・プレーヤー、J・ニクラスもプレーしたことがあると言う名門である。

古田の経歴を調べてみた。プロ野球選手は私立高校から誘いがあって無試験で入学する人が多いが、彼は県立川西明峰高校に入学試験を受けて入学した。高校時代は野球をやってはいたが、ほぼ無名の存在だった。立命館大学に入学して、関西学生野球リーグで活躍し、プロを目指すようになった。大学卒業時に、メガネの捕手は大成しないと見られて、球団には入れず、トヨタ自動車に入社し、都市対抗野球大会で活躍した。その後、球団からスカウトされてヤクルトに入団し、名捕手・名監督の野村克也(今年二月逝去)の指導で大活躍。一九九二年はヤクルトの十四年ぶりのリーグ優勝に貢献した。一九九七年には日本シリーズを制覇し、捕手として初めてセリーグのシーズンMVPと日本シリーズMVPの両方を受賞した。二〇〇六年から選手兼任監督として、ヤクルトの指揮を執る。

名捕手として、シーズン盗塁阻止率〇・六四四と通算盗塁阻止率〇・四六二は今でも日本記録。打者としても、年間打率三割を八回達成するなど、数々の輝かしい戦績を残している。二〇一五年に野球の殿堂入り。古田は、野球選手としては、遅咲きの天才と言える。

二〇〇四年にプロ野球再編問題発生時に日本プロ野球選手会会長として史上初のプロ野球ストライキ決行を主導して球団側と交渉した。わたしは当時、「プロ野球選手もストライキをするのか。面白いことをする人だな」と思った。

二〇〇五年一月に故郷の兵庫県川西市の第一号「名誉市民」に選ばれた。その記念講演で「子どもたちが大きな夢を持って育てるような環境づくりに貢献したい」と語った。

♪素振りではプロ並みいつもホームラン

(赤タイ)

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千円札の野口英世博士

虫めがね vol.46 No.2 (2020)

日本を代表する医学者・細菌学者である野口英世は、わが国の千円紙幣に肖像が載っている。彼を主人公にした子ども向けの偉人伝が多数刊行されており、「偉人の代表」とも呼ぶべき存在だ。わたしが小学生の頃、学校の図書館には彼の肖像画が掲げてあったのを思い出す。

野口は明治九年、福島県の貧しい農家の長男として生まれた。一歳半の時に囲炉裏に落ちて左手指が癒着する大火傷を負った。これが原因で家業の農業を継ぐのを断念し、学問で身を立てることを志した。もしこの時、野口が大火傷を負わなかったら、長男として家業を継いでおり、世界的な細菌学者の野口は誕生しなかっただろうと言う人もいる。

一九〇〇年、二十四歳の時に渡米し、ロックフェラー医学研究所の研究員として蛇毒の研究に従事する。その後、梅毒スピロヘータ、ペルー疣、オロヤ熱、熱帯リーシュマニヤ症などの研究で多くの成果を上げた。これらの業績によりスペイン、デンマーク、スウェーデンから勲三等、フランスからは防疫功労金碑、米国フィラデルフィアからジョン・スコット・メダル名誉章、日本では勲二等旭日重光章、学士院恩賜賞など、数々の名誉ある賞を受賞している。ノーベル生理学・医学賞候補にも三度ノミネートされた。

一九二七年、野口は、南米・エクアドルで特定した「黄熱菌」の正しさを証明する為に、当時、黄熱が猛威を振るっていた西アフリカのガーナに行った。その研究の途次に、首都アクラで野口自身が黄熱に感染して亡くなった。享年五一歳。

野口が特定した病原体で小児麻痺、狂犬病、南米の黄熱病など、病原体がウイルスであるものは、その後すべて否定されている。何故なら野口が使っていた光学顕微鏡はいくら覗いてもウイルスは見つからないからである。電子顕微鏡では見ることが出来るが、電子顕微鏡が開発されるには、野口の死後十年を待たねばならなかった。

昨年一二月頃、中国の武漢市に端を発した新型コロナウイルスによる肺炎が、今(二月下旬)では中国全土に拡大する勢いを見せている。更には、中国を飛び出して、日本、韓国、シンガポールなどの周辺諸国や米国、イタリア、ドイツなどの欧米諸国にも飛び火している。新型ウイルスなので、治療薬やワクチンはまだ無い。ウイルスの宿主はコウモリだと言われているが、良く判っていない。潜伏期は二週間くらいだが、無症状の病原体保有者からの感染もあるらしいなど不確かなことが多い。今は、野口の時代と比べて電子顕微鏡はあるし、遺伝子検査など医療技術や医療環境は格段に進歩している。このエッセーが印刷になる頃には、下火になっていることを祈る。

♪今の医者 人など見ずに画面見る

(赤タイ)

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人間の叡智の限界

虫めがね vol.45 No.6 (2019)

「夢の溶媒」と言われたフロンは、その無毒、安定、不燃、高溶解能などの理想的な性質がある為に、冷媒、洗浄剤、発泡剤、スプレー剤、消火剤など広い範囲で多用された。二十世紀最大の発明の一つとまで言われていた。ところがその後、フロンは地球を覆っているオゾン層を破壊(環境破壊)することが判り、今では世界的に使用禁止となっている。

同じような運命をたどった物に有機塩素系殺虫剤DDTがある。DDTは人畜には急性毒性が低く、害虫を殺す効果は抜群であった。それで蚊、ダニ、シラミなどの感染症媒介害虫を駆除して、多くの人命を救った。わが国でも大戦後の衛生状態が悪い時期に、ハエ、蚊、シラミ等の駆除に大量に使われた。年配の人たちは、小学校で頭のシラミ駆除に白いDDTの粉剤を頭髪に振りかけられた経験があるでしょう。また、農業分野でも農業害虫の駆除に多用され、世界の食糧増産に大きく貢献した。このDDTの効果を見出したスイスのガイギー社のミュラー博士は、その功績により一九四八年にノーベル賞を受賞した。しかし、その後、DDTは環境中の有用昆虫を殺し、生物体内や環境中に容易に蓄積され、環境ホルモン作用や発癌性が疑われ、今では世界的にDDTは製造禁止となっている。

「夢の」とか「人類の救世主」などと言われていたものが、その後、使用・製造禁止となった例は、他にもある。これらは人間の知恵にとっては想定外のことであったのだろう。これらの物に共通するキーワードは「丈夫で長持ち」と「大量使用」の二つである。その優れた性質の為につい大量に使用することになる。ところが、それが化学的に安定である為にいつまでも地球上に残留し続け、環境汚染を起こす。少量を細々と使っておれば、地球にとって大きな負荷とならず、環境汚染問題も小さくて済むのであろう。

その他にも、人間の叡智を尽くして完成したものが、後に問題を起こしたものは歴史上少なくない。近年では、二〇一一年の東北地方太平洋沖大地震や、これに伴う最大遡上高四十mを超える大津波の発生は想定外であったと言われている。この地震と大津波により、叡智を尽くして完成した筈の東京電力福島第一原子力発電所が破壊され、メルトダウンを起こした。

これらの事は人間の叡智を超える想定外の事が自然界では容易に起こり得ることを示している。政治問題化している原子力発電所の可否はともかくとして、人間の叡智には限界があり、それを大きく超える自然の力があることを十分認識して、判断すべきことを教えている。

♪進化したサルは猿より苦労増え

(赤タイ)

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ドードー(dodo)の絶滅

虫めがね vol.46 No.1 (2020)

インド洋に浮かぶモーリシャス島と呼ばれる小さな孤島がある。面積は一八六五km2で、日本の淡路島の約三倍の大きさの火山島である。この島はアジアとアフリカを結ぶ主要航路から外れており、長い間無人島であった。この島にはトラやオオカミのような肉食獣は生息しておらず、島に生きる動物たちは極めて平穏に暮らしていた。この島で進化した固有の動物に珍しいドードー(dodo)という鳥がいた。七面鳥くらいの大きさで、空は飛べず、地上をよたよた歩きながら、果実や木の実などを主食にして生活していた。

ところが世界は大航海時代に入り、一五世紀にはインド人、ポルトガル人が航海の途中に立ち寄った。一七世紀に入り、オランダ人がインド航路の補給地として入植を始めた。オランダ人が入植するとサトウキビの栽培を大規模に始め、農園の労働力として奴隷の移入が行われた。人間の入植者が増えると、ドードーを食料として捕獲するようになった。襲ってくる天敵がいない孤島で進化したので、平穏な生活に慣れており、警戒心が薄く、人間が捕獲しようと近づいても逃げようともしない。更に、ドードーは地上に巣を作り、卵を産んだ。この卵も人間により容易に捕食された。

こうして、ドードーの個体数は急速に減少していった。先に入植した人たちは、ドードーが減少していくのに気が付いて、捕獲を抑制すべきではないかと考えた。しかし、自分たちが捕獲を抑制しても、遅れて入植してきた人間たちが、捕食するので、抑制した者が損をするだけだと考えた。こうして、乱獲は止まらず、オランダ人が入植を始めて八〇年余りでドードーはモーリシャス島から完全に姿を消し、絶滅した。

この事例は、孤島と言う限定された環境で起こったので、人間の自然環境破壊が典型的に現れている。

それから約三四〇年後の今の世界を見渡すと、この事例と同じことが、今度は地球規模で起こっているように見える。世界の指導者は「自国ファースト」の掛け声とともに、地球上からいろいろな物を乱獲している。石油、レア・メタル、海からは鯨や魚類の乱獲。更には、大気中に大量の二酸化炭素を排出して、正常な気象を奪っている。また、PM2.5や排気ガスを放出して、生物にとって大切な青空を奪っている。

国連気候変動枠組み条約締約国会議(COP 25 )で地球環境を守ろうと話し合いが行われているが、条約から離脱する国が出て、条約を守り二酸化炭素の排出を抑制しようとする国が損をする状態となる。これも、三四〇年前のモーリシャスでドードーの乱獲が止まらなかった状態に酷似している。

♪人類は神が造りし未完品か

(赤タイ)

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プラスチック塵と海洋汚染

虫めがね vol.45 No.5 (2019)

プラスチック塵が大量に海に流れ込み、生物に大きな被害を与えていると問題になっている。国際環境NGO「グリーンピース」の調査によると、死んだクジラ、イルカ、ウミガメ、海鳥などの胃や腸から大量のプラスチック片が発見された。レジ袋やペットボトルの破片などを誤って飲み込んで、それらが胃や腸にたまり、その結果、餌を捕食できず、栄養失調で死んだとみられる。プラスチック塵は太平洋や大西洋のみならず、北極海や南極海も汚染していることが判っている。プラスチック塵が海へ流出すると漂いながら紫外線などで砕け、5㍉以下のマイクロプラスチックになる。これがイワシやアジやサバなどの体内に取り込まれ、次に我々がこれらの魚を捕食することになる。

今年(令和元年)六月に大阪で開かれたGサミット(主要カ国地域首脳会議)でもこの問題は取り上げられて「大阪ブルーオーシャン・ビジョン」が首脳宣言に盛り込まれた。スーパーなどの買い物で入れてもらうレジ袋や、飲み物に使うプラスチックのストローなどは近く使用禁止となるそうだ。

人類の歴史は、石器時代→青銅器時代→鉄器時代を過ぎて今ではプラスチック時代と言われている。おもちゃ屋に行けば、わたしの子どもの頃は、木や厚紙で作られていたおもちゃが、今ではほとんどがプラスチック製である。台所には、醤油、酢などの容器はガラス瓶だったのが今ではプラスチック容器が多い。浴室に行けば、浴槽、湯桶、浴槽椅子などいろいろ目につく。生活用品のみならず、自動車、新幹線、飛行機などの輸送機関にも大量にプラスチックが使われている。プラスチックは丈夫で加工がしやすく、軽くて腐らないなどの優れた性質を持つために、我々の生活のいたるところにプラスチックが存在する。

人類はこれまでプラスチックのような素晴らしい物が環境汚染を起こし、人類の害になるなどは全く予想もせず、プラスチックを利用してきた。これらは人間にとっては想定外のことであったのだ。

環境汚染に共通するキーワードは「丈夫で長持ち」と「大量使用」の二つである。石器は使用後、砕ければ土に戻る。青銅器も鉄器も錆びて壊れれば、これも土に戻る。石も青銅も鉄も元は地球の成分である。ところが、プラスチックは化学的に安定である為にいつまでも地球上に存在し続ける。「丈夫で長持ち」の性質はいずれ地球の負荷となり、環境汚染を起こす。少量を細々と使っておれば、地球にとって大きな負荷とならず、問題も小さくて済むのであろうが、安くて良い物なのでつい大量に使ってしまう。人間の小智であろうか。

♪人類は今や地球のお荷物か

(赤タイ)

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