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千円札の野口英世博士

虫めがね vol.46 No.2 (2020)

日本を代表する医学者・細菌学者である野口英世は、わが国の千円紙幣に肖像が載っている。彼を主人公にした子ども向けの偉人伝が多数刊行されており、「偉人の代表」とも呼ぶべき存在だ。わたしが小学生の頃、学校の図書館には彼の肖像画が掲げてあったのを思い出す。

野口は明治九年、福島県の貧しい農家の長男として生まれた。一歳半の時に囲炉裏に落ちて左手指が癒着する大火傷を負った。これが原因で家業の農業を継ぐのを断念し、学問で身を立てることを志した。もしこの時、野口が大火傷を負わなかったら、長男として家業を継いでおり、世界的な細菌学者の野口は誕生しなかっただろうと言う人もいる。

一九〇〇年、二十四歳の時に渡米し、ロックフェラー医学研究所の研究員として蛇毒の研究に従事する。その後、梅毒スピロヘータ、ペルー疣、オロヤ熱、熱帯リーシュマニヤ症などの研究で多くの成果を上げた。これらの業績によりスペイン、デンマーク、スウェーデンから勲三等、フランスからは防疫功労金碑、米国フィラデルフィアからジョン・スコット・メダル名誉章、日本では勲二等旭日重光章、学士院恩賜賞など、数々の名誉ある賞を受賞している。ノーベル生理学・医学賞候補にも三度ノミネートされた。

一九二七年、野口は、南米・エクアドルで特定した「黄熱菌」の正しさを証明する為に、当時、黄熱が猛威を振るっていた西アフリカのガーナに行った。その研究の途次に、首都アクラで野口自身が黄熱に感染して亡くなった。享年五一歳。

野口が特定した病原体で小児麻痺、狂犬病、南米の黄熱病など、病原体がウイルスであるものは、その後すべて否定されている。何故なら野口が使っていた光学顕微鏡はいくら覗いてもウイルスは見つからないからである。電子顕微鏡では見ることが出来るが、電子顕微鏡が開発されるには、野口の死後十年を待たねばならなかった。

昨年一二月頃、中国の武漢市に端を発した新型コロナウイルスによる肺炎が、今(二月下旬)では中国全土に拡大する勢いを見せている。更には、中国を飛び出して、日本、韓国、シンガポールなどの周辺諸国や米国、イタリア、ドイツなどの欧米諸国にも飛び火している。新型ウイルスなので、治療薬やワクチンはまだ無い。ウイルスの宿主はコウモリだと言われているが、良く判っていない。潜伏期は二週間くらいだが、無症状の病原体保有者からの感染もあるらしいなど不確かなことが多い。今は、野口の時代と比べて電子顕微鏡はあるし、遺伝子検査など医療技術や医療環境は格段に進歩している。このエッセーが印刷になる頃には、下火になっていることを祈る。

♪今の医者 人など見ずに画面見る

(赤タイ)

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