木材保存誌コラム

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木材保存誌コラム

日本のすばらしい自然美

虫めがね vol.39 No.6 (2013)

日本列島の美しさには定評がある。国土の約69%は森林に被われ、降水量も豊富なので、これらの森林は常に緑が維持されている。その森林が春は桜、夏は深緑、秋は紅葉、冬は白雪と四季おりおりに、鮮やかな色に姿を変える。しかも日本列島は南北に延びているので、桜前線が北上するように、緯度の違いにより各地の色の変化時期に違いがあり素晴らしい。このように神から授かった自然は素晴らしい。

ところが、そこに住んでいる我々が作った都市、街並みは美しいとは言えないものがある。四年半のロンドン駐在の務めを終えて帰国し、日本での生活に戻った当初、自分で車を運転していて、一時間も運転すると非常に疲れることに気が付いた。イギリスでも自分で運転することが多かったが、こんなに疲れはしなかった。何故だろうと考えるに、自動車の運転席から見える街並みが大きく違うことに気が付いた。

日本の街を車で走ると黒い瓦の屋根ばかりではない。赤、青、緑の屋根や壁など色とりどりで、強い色彩の建物が目に飛び込んでくる。また、道路の両側には様々な大きさ、形をした看板がやたらと立ち並んでいる。大きさだけでなく、書かれている内容や文字が原色で目立つように書かれている。看板だから目立つように書くのは当然かもしれないが、道路に立っているスピード制限、右折禁止、駐車禁止、地点の名称などの交通標識がこれらの看板にうずもれて見落としてしまいそうにさえなる。この強烈な色彩と雑多な看板は運転者の神経を刺激し、疲れさせる。

イギリスの街並みは、ご存じのようにやや渋い橙色のレンガを基調とした建物であり、屋根も渋い赤レンガがふつうである。青や緑や黄色の屋根は見当たらない。条例で規制している。それ故、建物の色や形が背景の自然と一定の調和があって美しい。このようなイギリスの街並みは単調で物足りないという人もいるが、四年半ほど生活してみると、何となく心が落ち着いて安らぐことに気づく。

日本でも京都や萩市の街並みのように、落ち着いて静かな風情を維持しているところもある。これらの街は条例で規制するなど、景観を維持する努力をしている。

ロンドンに住んでいた頃、家のオーナーが自分の庭に生えている木を切るのにも、市役所に届けて許可が必要だと聞いた。

現代に住む私たちは、日本の素晴らしい自然美を守り、美しい街並みを作り、次世代の人たちへ残していく責任があると思う。

(赤タイ)

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"わかめ"の長寿犬表彰

虫めがね vol.39 No.5 (2013)

わが家に満十八歳になる"わかめ"という名のメス犬がいる。名前は漫画「サザエさん」の家族のわかめちゃんから拝借した。人間で言えば百歳を超えるというので、二年ほど前に阪神開業獣医師会から長寿犬として表彰状と盾をもらった。表彰状には、「あなたは人生の伴侶として、永年にわたり家族に喜びと楽しみを与えてくれました」と表彰の理由が書いてあった。本人はなにもわからないだろうから、好物の鶏のササミ肉のジャーキーを与え、表彰状・盾と並べて記念写真を撮った。

ところが、元気だったこのわかめが、このところ老化が激しく、とみに弱ってきた。かっては、仕事を終えて我が家に帰ってくると、その足音を聞きつけて、尻尾を振りながら、「ワンワン」と飛び出してきたものだ。ところが最近は、足音はおろか、玄関のドアを開けても、まだ気づかずに眠っている。ドアをガチャンと閉めると、その音で初めてゴソゴソと起きだして、尻尾を振って近づいてくる。衰えたのは聴覚だけではない。視力もかなり老眼のようだ。女房が散歩に連れているのを見つけて、遠くから、「わかめ」と大声で呼んでも、しばらくじっとこちらを見つめてようやく気が付く様子である。また、犬の最大の武器であるはずの嗅覚も衰えた。わかめの好きなササミ肉のジャーキーをやるとかぶりつくが、歯が弱ったのか、一口で食べられなくなり、足元へポロリとかけらが落ちる。自分の足元にあるのに、鼻先であちこちをフンフンと嗅ぎながら、落ちたジャーキーを探している。以前のわかめなら落ちたジャーキーはたちどころに見つけてペロリであったが、今は目でも見つけるのに時間がかかるし、嗅覚でもわからないらしい。

今年の夏は格別の猛暑である。ある時、ふと見るとわかめが疲れ切ったようすで寝ている。「わかめ!」と呼びかけても動こうとしない。抱きかかえてもぐったりしている。急いで氷をタオルでくるんで、首回りに当てて冷やしてやったら、しばらくすると元気になった。熱中症らしい。農家のお年寄りが、ビニールハウスで作業中に熱中症にかかり、救急車で病院に運ばれたが、不幸にして亡くなったというニュースを時々聞く。犬には人間のような汗腺がないので、汗をかいて体温を調節することができず、ますます熱中症にかかりやすいであろう。獣医さんにこの話をしたら、老犬が熱中症で亡くなることが多いそうである。エアコンが効いた涼しいところで飼ってくださいと言われた。

(赤タイ)

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おかゆ文化

虫めがね vol.39 No.4 (2013)

「おかゆ文化」という言葉があるそうだ。大人たちは子ども達にたくましさを教えずに、手取り足取りの過保護で育て、食べ物も硬いもの、苦いもの、渋いものなどを経験させずに、柔らかい「おかゆ」で育てている。そこで育った若者たちは、体は大きくなってはいるが、精神的にたくましさを持たないまるで「もやし」のような人に育ってしまったということである。

ましてや、大学全入時代の昨今では、厳しく自己を律して受験勉強に力を注ぎ、受験戦線を戦っていくという経験をせずに、すんなりと大学に入学してくる。

筆者が子どもの頃は、学校で先生にしかられたり、たたかれたり(実際に体罰はあったし、筆者自身も体験した)しても、家に帰ってそのことを親には絶対に言わなかったものだ。親に話すと「お前がそんなことをするから先生におこられるのだ」と、また叱られるので親には隠した。

ところが、おかゆ文化で育った子ども達は、叱られた経験がなく、学校で叱られると悲観して自殺したり、家に帰って泣きながら親に話す。話しを聞いた親たちはさっそく学校に抗議の電話をする。

「なんで、そんなことで(私の大事な)息子(または娘)をおこるのです!学校の教育方針が悪い!」

従来なら家庭でしつけるべき、日ごろの挨拶や身だしなみ、あるいは未成年者の喫煙なども学校の指導にまかせっぱなしの保護者が多い。教育は学校の仕事である。そのために授業料をはらっとるという考えである。子どもの教育は親と学校が協力しあってやるものだという視点が欠けている。

こんなこともある。ある日、保護者から大学に電話があった。

「うちの息子は大学に出ていますか。息子に尋ねても何も言ってくれません」

調べてみると、欠席が多く留年寸前の学生であった。

「今後、息子の出席状況を連絡して欲しい」

学生の教育には保護者の協力も大切である。今後、希望する保護者には毎月一回出欠表を大学から送付することにした。

最近、大学を卒業して八年くらいになる、今は社会で立派に活躍している卒業生数名に会った。昔話に花を咲かせるうちに、

「学生時代に厳しく教えてもらったことが今、役に立っている」

「学校で厳しく教えてもらったのが有難い」

と口々に言っていた。おかゆ文化で育った若者からはこのような意見が聞かれるだろうか。

(赤タイ)

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ゴキブリに洗剤をかけると数分で死んだ、なぜ?

虫めがね vol.39 No.3 (2013)

筆者が勤務している大学で、化学の講義の時間に界面活性剤について話をした。その講義の中で余談として、

「ゴキブリが台所に現れたので、洗剤(界面活性剤)をかけたら数分でゴキブリが死んだ。洗剤はそんなに毒性が強くて危険な化学物質なのか」について解説した。

ゴキブリの体表はワックス(脂質)層で覆われている。ゴキブリが見るからに脂ぎってギラギラしているのはこのワックス層のせいで、水をかけても、はじき飛ばしてゴキブリはなんともない。だが、洗剤をかけると洗剤はこのワックス層に溶け込み、ゴキブリの体の側面にある気門から気管の中にまで侵入する。洗剤によって気管を塞がれたゴキブリは呼吸ができなくなって窒息死することになる。洗剤でなくとも、サラダオイルやオリーヴオイルをかけても結果は同じで、ゴキブリは数分以内に窒息死する。食品であるサラダオイルやオリーヴオイルを毒性が強くて死んだと思う人はいないだろう。

黒板に大きくゴキブリの絵を描いて、洗剤が気門から侵入して行く様子を示し、このような話をした。今まで眠そうに講義を聞いていた学生たちも目をあけて、

「えェ!」

というような顔をして聞いている。全十五回の講義が終わって、期末試験に、次のような課題を出した。

「今期の化学の講義の中で、何に最も興味を持ったか。そしてその理由は何か」

するとなんと三分の一あまりの学生が、

「ゴキブリに洗剤をかける話しです!」と書いている。

「ゴキブリに洗剤をかけると死ぬのは知っていたが、洗剤の毒性で死ぬと思っていた」とか、

「いままで、ゴキブリを見つけたら、新聞紙を丸めてたたくことばかりやっていたが、次回は洗剤をかけてみたい」とか、

「石鹸が溶けた洗面器の中でゴキブリが死んでいるのを見た事がある」とか、さらには、

「先生が黒板に描いたゴキブリの絵がリアルでうまかった」

など、学生たちは思い思いに感想を書いている。

これらの解答を読んでいるうちに、筆者としては、ゴキブリの話しは余談であり、他に、もっと重要で役に立つ話しを沢山やったのにという複雑な気持ちになった。

♪無駄ばなし 授業よりも 大うけす♪

(赤タイ)

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人は万物の霊長?

虫めがね vol.39 No.2 (2013)

人は「万物の霊長である」と自称している。はたしてそうであろうか。

人は言葉をしゃべることが出来ることをその理由の一つとしているが、アフリカのジャングルに住むチンパンジーは三十五語くらいの言葉を使いわけて、仲間とコミュニケーションをとっているらしいことが判っている。わが家には十五年くらい前から犬を飼っているが、散歩に行きたい時、トイレに行きたい時、寒い時、不審な者が現われた時など、微妙に鳴き声を変えて知らせてくれる。夏に木に止まって鳴くセミは、何種類か鳴き方を変えて求愛とか警告とかのコミュニケーションをとっている。人が言葉をしゃべるということは、他の生物と比較して使える語彙数が多いという量的な違いであって質的な違いではなさそうだ。

人は家畜を飼育したり、農業を行い、食糧を将来の為に貯えるというのが他の生物より優れていると考えられている。これもアリはアブラムシ(アリマキ)を保護し飼育して、アブラムシが出す甘露(糖液)を得ている。ある種のキツツキ、カラス、ネズミは豊富な時期に収穫した食糧を貯え、乏しくなった時に、その貯えを引き出して食べることが知られている。

人は道具を使って自分の生活を便利にしている。ガラパゴス諸島にすむキツツキフィンチはサボテンのとげを口ばしにくわえて、その先を木の穴に突っ込んで、中にいる虫を追い出して、その虫を食べている。カラスが木の実を道路に並べて、その上を自動車が通り、タイヤに敷かれて割れた実の中味を食べているのをテレビで見たことがある。チンパンジーは石を使って硬い実を割って食べることがある。これらは動物も道具を使っている例といえよう。

子を産んで育てるという行為はすべての動物が共通に行っていることで、人の特技ではあるまい。自分の子ども達を一人立ちできるように教育することも、トラやライオンなど、いろいろな動物が自分の子どもたちに獲物の捕らえ方を教えている行為と同じである。

こう考えてみると、人が「万物の霊長」である、その根拠は薄弱になってくる。

ところが、最近ある動物園の園長から次のような話を聞いた。

「親が子どもの面倒をみて、育てるのは多くの動物で見ることが出来る。しかし、その子どもが成長して、年老いた親の世話をするのは人間だけです」

これは「万物の霊長」と胸をはって言える根拠かもしれない。

「年老いた 親のしあわせ わがしあわせ」

(赤タイ)

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