グラウンド・ゴルフの楽しみ(その2)
虫めがね vol.50 No.3 (2024)
二年前のこのコラムでわたしはグラウンド・ゴルフを始めたことを書いた。あれから二年経ち、やっているうちに楽しさが分かってきたのでここでその続編を書くことにする。
わたしが属している地元のグラウンド・ゴルフのグループは会員数が約六〇名で、その内女性は約半分である。夫婦で参加している人も多い。わが妻も参加している。会員は高齢者が多く、グループの平均年齢はおそらく八〇歳に近いのではなかろうか。毎週月・木曜日の午前中にプレーしているが通常の参加者は四〇名くらいである。
ゴルフの場合はハンディキャップというのがあって下級者でも上位に入るチャンスがあるように調整してあるが、グラウンド・ゴルフにはハンディキャップと言うものはない。なくとも、上級者が常に優勝するとは限らないところが面白い。
わたしのグループは近くの運動公園を利用してプレーしているが、この運動公園は少年野球チームも利用している。従って、雨上がりで地面が緩い日なんかは少年野球の靴の跡があちこちに残っており、そんな状態でプレーすることになる。また、夏になるとあちこちに雑草が生えていることが多い。ゲームがある日は、朝早めに行って皆で協力して、グラウンドの小石や雑草を取り除き、靴の足跡などを均すようにしているが、それでも限界がある。
運動公園を使っているわたしのグループの特殊性かもしれないが、ボールを真っ直ぐに打って、まさにボールがホールポストに入ろうとしている直前に小石に当って外れてしまい残念に思うことが多々ある。その逆に、ボールがラインを逸れて「ああー、だめだ」と諦めていたら、途中で小さな雑草に弾かれて進路が変わり入ることもある。「ラッキー!」と思うのはこんな時である。
年に二回ほどバスを貸し切って皆で遠くのグラウンド・ゴルフ専用のコースに出かけてプレーを楽しむこともある。これは一日掛けて遠出するので、皆でおしゃべりをしながら昼食の弁当を食べる楽しみもある。
市のグラウンド・ゴルフ協会主催の大会も年に五回ある。市内には二〇くらいグラウンド・ゴルフのグループがあり、それらが参加するので大会の参加者は一七〇名くらいの大勢になる。これは市長賞やスポーツ協会賞などがでる盛大な大会である。今年の二月に行われた春の大会でわたしは参加者百六十一名中五位に入賞した。もちろんわたしのグループからの参加者の中ではトップである。グラウンド・ゴルフを始めてまだ二年だが、諸先輩を押しのけて五位に入るとはツキがあるというか、マグレが時々起るのがグラウンド・ゴルフの面白いところである。
♪いつの間にゴルフ仲間も高齢会
(赤タイ)
阪神・淡路大地震を思い出す(続編)
虫めがね vol.50 No.3 (2024)
阪神・淡路大地震の時は、わが家は家屋が倒れるほどではなかったが、かなり揺れた。敷居が歪んで、玄関の扉や居間の障子や襖が開閉出来なくなった。家の周囲の地面にはあちこちに大きな亀裂が出来てポッカリと口を開けている。地震の揺れは地下を帯状に走っている様子で、わが家は食器棚が倒れるほどの大きな揺れは無かったが、わが家から道一つ挟んだお向かいの筋では食器棚が倒れて、中にあった食器類はすべて落下して大きな被害を受けた家が多い。
目下必要な生活用品を確保しようとスーパーに買いに走ったが、インスタントラーメンやパンや飲料水が入ったペットボトルなどは早々に食品棚から消えていた。トイレットペーパーや乾電池、使い捨てカイロなども売り切れていた。誰もが必需品なので買い込んでいくのであろう。わたしの出だしは遅かったようだ。
阪神沿線に住んでいて大阪に勤務する人たちの通勤スタイルが変わったのが印象的であった。従来は背広に通勤かばんを提げて通勤していたビジネスマン達が、この時にはほとんどの人達が背広姿に大きなリュックサックを背にして通勤している。仕事が終わって帰る時に、大阪のスーパーなどに寄って食料や生活必需品を買ってリュックに入れて家に持ち帰る為である。夕方になると神戸方面へ向かう電車の中は帰宅を急ぐこのスタイルの人達で一杯になった。このリュック通勤のスタイルは一年くらい続いたであろうか。
私が住んでいる周辺では幸いにして地震による人身傷害は無かったが、記録によると神戸市や淡路島を中心に、六四〇〇名を超える人びとが亡くなっている。私の友人の神戸大学の学生だったご子息や神戸にお住いの会社の先輩が倒壊した家屋の下敷きになって亡くなられたなどの悲しい報は少なからずある。ご家族の方に何と言葉をかけたら良いのか困ったのを覚えている。
阪神高速道路の神戸線の橋脚が折れて六〇〇mくらいが倒壊したことは、当時、新聞などで報道されたので、皆さんもご存知だと思う。私の会社の同僚がオートバイに乗ってこの高速道路を走って出勤する途上で揺れに遭った。彼は揺れに気付いて早めに高速道路から降りたので助かったが対応が遅れていれば、高速道路の落橋に巻き込まれて大事故になる所であった。九死に一生を得たわけである。
百年あまり前の関東大震災の例もあり、これまでは関東は地震があるが、関西は地震はない、安全な地と思っていた。用務で東京に出張した時などは関西に戻ってきたら、ほっとしていた。でも、今では日本列島どこに居ても地震はあると思っている。
♪苦節超え 今陽風に舵を切る
(赤タイ)
阪神・淡路大地震を思い出す
虫めがね vol.50 No.2 (2024)
ことしの新年は元日の午後四時一〇分、石川県能登地方を中心としたM7・6の大地震で始まった。今も多数の家屋が倒壊したままで、多くの人々が避難生活をされている。倒壊した建物の下敷きになり、多くの人が亡くなった。新年早々に胸が痛むニュースが飛び込んできた。
今もまだ続いている救助活動や復旧作業の状況をテレビや新聞で見ていると、今から二九年前に起きたM7・3の阪神・淡路大地震のことが頭に浮かんでくる。わが家は震源地から離れてはいたが兵庫県に住んでいるのでそれなりの被害を受けた。
地震は一九九五年一月一七日の早朝五時四六分に起きた。当日は、今まで経験したことがない「ゴー!」という鈍い音と激しい揺れで目が覚めた。国鉄も私鉄も止まってしまったので、自分で自家用車を運転して勤務地の宝塚市にある研究所に向かった。途中、道路のあちこちで亀裂が入り、水道水があふれ出ていた。これらの道を避けながら迂回して、なんとか研究所に辿り着いた。研究所で私が日頃使っている居室に行くと、わが机の上に大きなエアコンがドスンと座っていた。天井に取付けてあったエアコンがこの地震で落下してきたようである。もし勤務中で私がこの机についていたら、おそらく私は即死であったろう。
私の机の横には高さ約五〇cmの陶器製の観音菩薩像が置いてあった。この像は数年前に中国から研究所に来訪された人からお土産にいただいたものである。この観音像も落下して首が折れ、破損して床に転がっていた。私はこれらの破片を回収して、接着剤をつかって出来るだけ復元した。これをわが家に持ち帰り、今でも毎朝手を合わせている。地震による傷害を私に代わって引き受けてくれた「身代り観音」である。
生活で困ったことはやはり水道、ガス、電気が止まったことである。水道が止まれば食事の支度や、水洗便所も使えない。水道は数日で復帰したので、カセットコンロを買ってきて食事などの準備はできるようになった。電気も比較的早く、一週間くらいで使えるようになった。一番困ったのがガスである。ガス管があちこちで破損しているので復旧の目処が立たない。ガスがないとお風呂に入れない。食事などはカセットコンロで代用可能だが、お風呂はそうはいかない。カセットコンロでお湯を沸かして体を拭いていたが、それも四、五日すると何としてもお風呂に入りたくなった。遠くに住んでいる友人宅まで家族を連れて車で行って、お風呂を借りたこともあった。ある時は近くのゴルフ場が施設の風呂を無料で開放してくれたので、入浴に行ったことがある。行って見ると大勢の人が来ていて、戸外に順番待ちの行列を作っていた。
話しはまだまだ尽きない。この続きは次回に。
♪息災を願う今年の雑煮箸
(赤タイ)
カラスは黄やオレンジ色が好き
虫めがね vol.50 No.1 (2024)
わたしは鳥類の生態について詳しい知識を持っているわけではない。それで、これから述べることは専門家から見ると間違っている内容があるかもしれないが、わたしが実際に体験し目撃した事である。
わが家の庭に一本の柿の木がある。毎年秋になると果実がみのり黄褐色に熟す。この柿の実が青いうちはカラスは寄ってこないが、熟して黄褐色になる頃からカラスはやって来て実を突っついている。これはヒヨドリやメジロなどの他の鳥類も同じで甘い柿を狙って食べにやって来る。これは美味しい食べ物に与ろうという自然な行為であろう。
わたしはゴルフが趣味で、月に数回はコースに出てプレーしている。数年前の事であるが、わたしの友人がドライバーでティショットをした。この球があいにく前方のバンカーの中に転がり込んだ。するとまるでその球が転がって来るのを待っていたかのようにカラスが舞い降りてきてそのゴルフボールを銜えるとそのままどこかに飛び去ってしまった。われわれの目前で起きたことであれよあれよと言う合間であった。この友人が打ったボールは鮮やかな黄色のボールであった。この時、わたしは白ボールを打っていたのでこんな被害には遇わずに済んだ。ゴルフのルールではこの場合、ペナルティ無しでカラスが持って行く前に在った位置に別のボールをリプレースするとの決まりがある。それにしてもカラスは持ち去ったボールを何に使うのであろうか。自分の巣に持ち込んで卵のように温めるわけでもなかろう。もしそうなら卵の色に近い白ボールを選ぶだろう。
わが家のベランダに一足のオレンジ色のサンダルが置いてあった。このサンダルがいつの間にか両足とも紛失してしまった。わが家の庭先まで入って来てたいして高級でもないサンダルを盗む人などが居るとも思えないので不思議に思っていた。ところが間もなく片方のサンダルが庭木の陰に落ちているのを見つけた。他方が無いなと思っていたら、それから数日後に家の庇の上にあるのが見つかった。このような所にサンダルを運ぶのはカラス以外には考えられない。ツバメやスズメにはサンダルは重すぎて運べまい。それにしても何が面白くてサンダルを持っていくのか想像もつかない。黄褐色の柿を突っつくのは食べてみようと考えているのだろう。ゴルフボールを持って行ったのは自分の卵に似ているので持って行ったとも考えることが出来る。ではオレンジ色のサンダルは何を思って持って行くのだろう。最近、都会に棲息するカラスは針金のハンガーを持って行って巣作りの材料にしている例があるらしいが、サンダルでは巣作りの材料には不向きであろう。全く不可解な行動であり、カラスに尋ねるしかなかろう。
♪風の音 鳥の声とのシンフォニー
(赤タイ)
幻の柿「元山」
虫めがね vol.49 No.6 (2023)
わが家の小さな庭に元山という一本の柿の木がある。樹齢は三〇年近く、今では大きく立派に生い茂っている。毎年一〇月頃になると黄褐色の果実が枝をしならせて一杯実る。果実が褐色に色づいた頃になると、近くの森からメジロやヒヨドリなどが飛んできて、わが家の元山を勝手に突いて楽しんでいる。
柿と言えば富有柿や次郎柿などが有名で果物屋さんの店頭に並んでいる。これらの柿は糖度が高くて甘く一般消費者には好まれている。ところが元山はそれほど甘くない。だが、何だかほんわかとした素朴な甘味で、さわやかな食感があり、わたしは好きである。ところがこの柿のややこしい所は、柿が甘いか渋いかは外見からは分からない。果実を包丁で二つに割って中に真っ黒いゴマ(黒い斑点)が入っていれば甘い。このゴマが無い実に当ると渋柿である。わたしはこれは樹木の枝の違いで、ある枝の実は甘くて、別の枝の実は渋いのかと思っていたが、どうもそうでもないらしい。柿が沢山実ったら近所の知人に配ることがあるが、渡す時に「この柿は甘いか渋いかは運ためしです」と予め説明して渡している。そうしないと、「こんな渋柿を持ってきて!」と恨まれる心配がある。
なぜこんなややこしい柿がわが家にあるのかと言うと、わが女房が生まれ育った実家(大分)の庭に元山の柿があって子どもの頃に良く食べていて美味しかった。それを思い出して義父に頼んで苗木を送ってもらったようである。わたしの実家(福岡)には富有柿の木があって子どものころ良く食べたのを覚えているが、元山の柿は食べたことがなかった。
インターネットで調べてみると、この柿は佐賀県原産で「伽羅柿(きゃらがき)」という不完全甘柿である。福岡県筑後地方では「元山」と呼ばれている。昭和天皇がお好みで佐賀県では皇室に献上したとあった。昭和天皇には柿を割ってゴマが無いのは渋柿なので食べないように言上する必要があるかもしれない。もっともお付きの人が皮を剝いて選別して天皇に差し上げたのだろうからそんな心配は要らないだろう。
また、これは江戸時代からある品種で、半野生の木のようで、果実は毎年生るわけではなく、良く実った年の翌年は実を結ばない。まったく気ままな樹である。
沢山採れた年には、東京や西宮に住んでいるわが娘たち家族にも宅配便で送っているが、子や孫たちは糖度の高い富有柿などに慣れているせいかあまり人気が無いようだ。
これから二〇年、三〇年先までもわが家の元山は、わたしが生きている間は楽しませてくれるよう願っている。
♪水をやる この木にいつか果が実る
(赤タイ)