エノキとオオムラサキ
木くい虫 vol.37 No.1 (2011)
ニレ科のエノキ属植物はアジアの温帯から熱帯にかけて約70種を産し、国内にはエノキ、エゾエノキ、クワノハエノキ等が分布している。エノキは材質があまり良くなく強度も比較的小さいため、家具や雑用材に用いられるほかは薪炭材としての用途くらいである。したがって、本誌の読者にはあまりなじみの無い樹種であるかもしれない。しかしオオムラサキの食樹として蝶屋(蝶愛好家)には大変有名な樹木である。
オオムラサキ(写真)はタテハチョウ科に属す大型の美しい蝶であり、1957年に日本の国蝶に指定された。切手の図にも採用されているので、知っている人も多いと思われる。本種は北海道の札幌付近から九州まで分布し、年1回の発生である。卵から孵化した幼虫はエノキの葉を食べて成長し、通常4齢幼虫で越冬する。翌春エノキの新芽伸長とともに休眠からさめ、柔らかい葉を食べて急激に成長する。樹上で蛹化し、6~7月に成虫となる。筆者は中学生のころ、当時住んでいた静岡県で河原のヤナギの樹液を訪れた本種を初めて見た。そのときの感動は50年経った今でも忘れることができない。最近オオムラサキの数は減少しているようであり、積極的に保護している地方もある。
オオムラサキ以外にゴマダラチョウの幼虫もエノキに依存している。しかし近年関東地方では同属の外来種であるアカボシゴマダラとの競争に敗れつつある。アカボシゴマダラは奄美大島にも棲息するが、関東地方で見られるのは中国大陸産の亜種であり、人為的な分布と考えざるを得ない。外来種問題は魚(オオクチバス等)で有名であるが、残念なことに蝶の世界でもこのような問題が起こっている。
エノキのようにあまり有用でない樹種も生態系の一員として役立っていることを感じていただければ幸いである。
(M・H)
細長い昆虫、ルイスホソカタムシ
木くい虫 vol.38 No.3 (2012)
ホソカタムシ(細堅虫)は細くて堅い昆虫という意味であるが、ホソカタムシの仲間が全て細長いというわけではない。しかし、ここに紹介するルイスホソカタムシ(写真)はまさに「細堅虫」であり、極端に細長く縦(体長)と横(体幅)の比が8.5倍程度もある。本種の名前はイギリスの昆虫学者ジョージ・ルイス氏に因んだものである。彼は19世紀に日本を訪れ多くの昆虫を採集し、標本を本国へ送っている。それらの標本を基に日本の昆虫が研究されたので、彼に因んだ名前の昆虫も多い。
筆者はルイスホソカタムシの奇妙な形態に憧れ採集したいと思っていたところ、やっと念願がかなった。昨年7月京都北山の佐々里峠で叩き網採集を行っていたときに網の上に落ちてきた。脚を縮めてじっとしているその姿はどう見ても一本の細い枯れ枝である。どうしてそんな形になったのであろうか?本種はキクイムシ類を捕食するためにその坑道に侵入するので、細長い形態はそのような彼らの行動に適応しているものと思われる。自然界の進化の妙である。実際本種がキクイムシの坑道に頭を突っ込んでいる写真がインターネットに出ていた。木材害虫であるキクイムシ類の天敵として働くルイスホソカタムシは本誌の読者にとってありがたい昆虫であろう。本種は本州、四国、九州に分布しているが、比較的珍しい昆虫らしく採集記録はあまり多くない。
ホソカタムシは一般の人にはなじみの薄い昆虫であり、「虫屋」の間でも「雑甲虫」と呼ばれあまり人気が無い。しかし、青木淳一博士は最近出版された「ホソカタムシの誘惑」という本で、その魅力を存分に伝えている。博士は退職後ホソカタムシの採集と研究に熱中しておられるそうであるが、筆者も退職後「昆虫少年」に戻って昆虫の採集や観察を楽しんでいる。
(M・H)
風雅な名前の昆虫︱スミナガシ︱
木くい虫 vol.38 No.2 (2012)
名は体を表すという。誰でも知っているモンシロチョウ(紋白蝶)は「紋のある白い蝶」という意味でどんな昆虫であるかすぐ見当がつく。最も短い和名であるイガは「衣蛾」の意味で衣類の害虫である。コナガは「粉蛾」ではなく「小菜蛾」であり、アブラナ科蔬菜を食害する農家の大敵である。ところで最も長い和名の昆虫をご存知だろうか?カタカナで22文字もあるリュウキュウジュウサンホシチビオオキノコムシという舌を噛みそうな名前である。漢字で書くと「琉球十三星ちび大茸虫」となり、琉球に棲息する13個の斑紋がある小さなオオキノコムシ科の昆虫という意味である。筆者は実物を見たことが無いが、名前からどんな昆虫か類推できる。ギフチョウ(岐阜)、ナガサキアゲハ(長崎)のように最初に採集された場所の地名から付けられた名前も多い。このような和名には分かりやすいという利点はあるが、なんとなく味気ない。
昆虫の和名には上記のような付け方をするものが多いが、中には風雅な名前を付ける昆虫学者もいる。そんな中で筆者のお気に入りは「スミナガシ」(写真)、昔宮中で行われた遊び「墨流し」にちなむタテハチョウ科の蝶である。確かに墨を水面に流したような模様の翅を持っている。スミナガシは青森県から八重山諸島まで広く分布するが、個体数が少なく比較的珍しい蝶である。本種の幼虫は、アワブキ、ミヤマハハソ、ヤマビワ、ヤンバルアワブキ等のアワブキ科の植物の葉を食べる。筆者の住む大阪府では年2~3回発生するようであり、成虫は5月と7~9月に見られ、クヌギなどの樹液を訪れる。
本種の食樹であるアワブキ科植物はどのように利用されているのであろうか。ヤマビワの材はかつぎ棒や器具の柄などに使われていたそうであるが、今はどうであろうか。アワブキの材は割れや狂いを生じやすく木材としては適さないため、薪として利用される程度である。したがって、アワブキ科は本誌の読者にはなじみの少ない樹種であると思われる。
(M・H)
クシヒゲツツシンクイ
木くい虫 vol.38 No.1 (2012)
ツツシンクイ科は体が円筒形で上翅を含めてキチン化が弱く軟弱な感じのするコウチュウである。全世界で50種程度が記載され、日本には6種(コバネ、ムネアカホソ、キイロホソ、オオメ、ツマグロ、クシヒゲ)が分布しているだけの小さな科である。この科の昆虫は穿孔虫であり木材に関係が深いが、これらの昆虫を知っている読者は少ないであろう。
写真はクシヒゲツツシンクイという種であり、左が雌、右が雄である。名前のとおり雄の触角は櫛状(櫛髭)である。図鑑によれば本種の体長は6~18㎜ となっており、写真の雌は18㎜ であるので本種のうちでは最大級の個体であろう。本種は山地の伐採木に集まることが知られているが、少ない種であり特に雄は極めて稀である。雄をほとんど見ることができないのは雌雄の比率が偏っているのではなく、雄があまり伐採木に来ない習性によるらしい。一方、雌は産卵に訪れる伐採木や倒木上で見ることができる。本種は樹種の選好性があまり無く広葉樹にも針葉樹にも穿孔するが、個体数が少ないので樹木の害虫として問題になることはほとんど無いものと思われる。筆者は、25年ほど前の5月末に長野県木曽福島町(現木曽町)にあったチップ工場の土場で本種を採集した。その土場では複数の雌個体を観察できたが、雄は写真の1個体のみであった。
筆者は、ツツシンクイ科の昆虫ではもう1種ツマグロツツシンクイを採集している。北海道、長野県、京都府で本種を観察できたが、いずれの個体も雌であり未だ雄を見たことがない。前種と同様に雄を見つけることは極めて困難である。
近頃は山地の土場が少なくなり、ツツシンクイ科昆虫の観察や採集はさらに困難になっているようである。筆者の標本箱に納まっているこれら2種の標本は今では貴重なものになってしまったが、これらの種は今でもどこかにひっそり棲息しているであろう。
(M・H)
ヤシの害虫・「タイワンカブトムシ」
木くい虫 vol.37 No.6 (2011)
子供たちの憧れの昆虫はなんと言ってもカブトムシである。読者の中にも子供の頃、カブトムシを採集した経験を持っている人も多いことだろう。生きたカブトムシ類の輸入が認められたので、最近ではヘラクレスオオカブトやアトラスオオカブトのような大物を見たり、飼育したりする子供たち(大人も?)が増えている。
ところで「タイワンカブトムシ」という種をご存知だろうか?以前は学名(Oryctes rhinoceros )から「サイカブト」と呼ばれていた種である。本種は東南アジア原産であり、もともとは日本に棲息していなかったが、今では沖縄本島以南の各地に分布している。おそらく植物と一緒に持ち込まれたものであろう。本種は、幼虫がヤシの幹に食い入る大害虫である。このように海外から侵入した種が日本の農林業に大きな害を与えることがあるので、昆虫の持込には十分注意する必要がある。アメリカから進駐軍とともに日本へ侵入したアメリカシロヒトリや、反対に日本からアメリカへ侵入したマメコガネ(アメリカではJapanese beetleと呼ばれている)などその例は多い。
タイワンカブトムシは冬を除いてほぼ一年中見ることができる。しかし、本種は雄でも角が短く、子供たちに人気があるとも思えないので、わざわざ採集に行く人もいないだろう。筆者は、初めての海外出張でインドネシアを訪れたときに本種を採集した経験がある。国内では、昨年5月に西表島で採集した(写真の個体)。いずれも灯火に飛んできたものであり、まだ幼虫の加害状況を観察したことは無い。
カブトムシの仲間は本来熱帯起源の昆虫であり、我が国には本種の他に、カブトムシ、コカブトムシ、クロマルコガネの4種が棲息するだけである。大型のカブトムシが生息する熱帯の森で昆虫採集を行うことが筆者の夢であったが、やっと実現しアトラスオオカブトやゾウカブトを手にいれることができた。
(M・H)