「神宿る島」宗像・沖ノ島(その1)
虫めがね vol.43 No.6 (2017)
「神宿る島」宗像・沖ノ島と関連遺産群が今年(平成二九年)七月にユネスコの世界文化遺産に登録された。この地は、わたしが生まれ育った故郷である。高校は県立宗像高校を卒業した。
今回、世界遺産として注目を集めた沖ノ島は、島全体が宗像大社のご神体である。宗像大社は沖津宮、中津宮、辺津宮の三宮で構成されており、これらの三宮には、天照大神から生まれた三人娘(女神)が祭神として祀られている。沖津宮は宗像市本土の沖合約六十キロの玄海灘に浮かぶ孤島・沖ノ島にあり、長女の田心姫(たごりひめ)神が祭神。中津宮は宗像市本土から約十キロ沖の大島にあり、次女の湍津姫(たきつひめ)神が祭神。辺津宮は九州本土の宗像市田島にあり、末娘の市杵島姫(いちきしまひめ)神が祭神。これらの話は、日本最古の歴史書と言われる日本書紀に登場している。
沖ノ島は周囲わずか四キロほどの孤島で、島全体が宗像大社のご神体である。この島は厳格な宗教的タブーで守られており、女人禁制である。男子であっても年に一度だけ宗像大社の許可を得た者のみが、上陸前に全裸で海中につかって神職のもとで禊をし、身を清めて入島する。ユネスコの諮問機関「イコモス」は現地調査の際に「世界文化遺産に女人禁制はふさわしくない」と言ったそうだ。世界遺産に登録されたい為に、千数百年の伝統ある宗教上の禁忌を変更する気はないと、宗像大社宮司は答えたそうだ。この宮司はわたしの高校の後輩である。わたしもその通りと思う。ユネスコの世界遺産という西欧的思考に合わせて、日本古来の伝統を曲げる必要はない。
沖ノ島・沖津宮の祭神は天照大神の長女である。彼女は男性が近づくのは歓迎するが、女性が近づけば嫉妬して海が荒れて舟が難破するのだと、わたしが子どもの頃、母親から聞いた。つまり、古代の航海技術では沖ノ島に近づくのは大変危険だった。子どもを産み育てることが出来る女性は、大切にしなければならない。女人禁制は女性を守るためにできた禁忌である。 沖ノ島は沖津宮に仕える神職が一人で島を守っている。わたしは世界遺産登録により観光客や不法上陸者などで千数百年守られてきた神宿る島が荒らされるのを心配している。年に一度だけ、一般の公募で選ばれた人に認められてきた上陸を、来年から止めることにしたそうだ。貴重な遺産を守るためには止むを得ない処置だと思う。
♪いにしえの女神の嫉妬恐れ入る♪
(赤タイ)ゴルフの楽しみ(その2)
虫めがね vol.43 No.5 (2017)
前回のコラムでゴルフの話を書いたが、今回もゴルフの話を少し続けてみたい。
ゴルフをやっているといろいろと予期しないことが起こる。ある時、打った球を我々が見ている目の前で、「あれ!」と言う間に、カラスが降りてきて口にくわえて持って行ってしまった。「コラ、待て!」と言う間もない。トンビに油揚げでなく、カラスにゴルフボールである。ゴルフ場の従業員によると、ここのカラスは白球よりも赤かピンク色の球を好んで持って行くそうである。それにしても、カラスは持って行った球を何に使うのだろうか。また、別の時は高く打った球が木の枝に止まって落ちてこなくなった。下から球は見えているのだが落ちてこないのである。風のひと吹きで落ちてくるのにと恨めしく思えた。この場合は、ルールによると一打追加して、続行するそうである。
ある日、愛知県から来たと言う人と一緒にプレーしたことがある。仕事の出張で兵庫県に来たついでにプレーしているのかと思ったら、日本全国のゴルフ場制覇を目指しているそうだ。すでに地元の愛知県のゴルフ場ではほとんどプレーしたので、今度は兵庫県のゴルフ場の番だそうだ。愛知県から車でやって来て、数日間滞在し、数ヶ所のゴルフ場でプレーして帰る。クラブハウスや特徴あるホールなどを写真に収めて、記録に残していた。全国には二,八〇〇余りのゴルフ場があるが、彼は何年がかりで全国制覇を達成するのだろうか。「日本百名城」制覇を目指している人には時々お目にかかるが、全国ゴルフ場制覇は珍しい。
年齢のせいか、ここ数年力が弱くなり球の飛距離が大きく落ちてきた。わたしのメンバーコースで若い頃には五番アイアンで十分に届いていた距離が、今ではドライバーでないと届かなくなった。ところが、最近わたしが時々いくゴルフ練習場で小学校四年生くらいの女の子がお母さんに連れられて練習に来ているのに出会った。彼女の練習を見ていると、ドライバーでは優にわたしより遠くに飛んでいる。小学生で、しかも女の子である。高齢者と言えども腕力はわたしの方が彼女よりも強いと思う。でも飛距離は彼女に及ばない。それ以後、自分の飛距離が落ちてきたことを、年齢のせいとか、力が弱くなったとかは言わないことにしている。
今は、年金暮らしなので、頻繁にはプレーできないが、健康維持のために、月に数回は仲間とプレーを楽しんでいる。
♪ゴルフ会いつの間にやらシルバー会♪
(赤タイ)
ゴルフの楽しみ
虫めがね vol.43 No.4 (2017)
わたしが住んでいる兵庫県は日本で三番目にゴルフ場が多い県である。そして、兵庫県は日本で最初のゴルフコースが出来た場所でもある。神戸に住んでいた英国人貿易商アーサー・H・グルームが一九〇一年に外国人の娯楽の為に神戸の六甲山にゴルフ場を造った。今の「神戸ゴルフ倶楽部」である。日本には、平成二九年現在で二六五七ヶ所のゴルフ場があるが、数でトップは北海道でその後に千葉県、兵庫県と続く。わが家から車で約四十分の範囲内にゴルフ場が一〇ヶ所以上はあり、ゴルフ天国の地に居住していることになる。
今から約二十年余り前に、定年後に時間に余裕が出来たらゴルフを楽しもうと、貯蓄も兼ねて某ゴルフ場の会員権を購入した。貯蓄目的の方は、最近のゴルフ人口の急激な減少で会員権の価値は紙くず同様になったが、プレー料は土曜、日曜を外せば、かなり安くなって楽しめるようになった。
ゴルフの楽しさ、そして難しさは、同じコースで同じ場所から同じクラブで同じ方向へ打った球も決して同じようには飛んでくれない。方向も、飛距離も違ってくる。したがって、同じコースを何度プレーしても常に同じではなく、変化があって楽しめるということである。
わたしが所属しているゴルフ倶楽部では、年間最多来場者表彰と言うのがある。これにY氏はたびたび表彰されている。彼は年間百回を超えてこのコースでプレーしている。雨の日や雪でプレーができない日もあるだろうから、三日連続でプレーすることもあるそうだ。
ある時、このY氏と一緒にプレーすることがあったので尋ねた。「このコース以外ではプレーしないのですか」「いや、誘われて他のコースでプレーすることもある」そうであった。
でもさすがに年間百回余り同じコースでプレーしているだけあってコースの癖は隅から隅まで知り尽くしている。打球した球が落ちている所に行くと、わたしはその球の前方を睨んで、さて次はどの方向に打とうかと考えるのだが、Y氏は考える時間は必要なく、すばやく打つ。人はこれを「早打ちのY氏」と呼んでいる。コースの癖を知り尽くしているのは当然としても、ゴルフ場のスタッフみんなとも顔なじみである。更に、ゴルフ場の池の鯉たちとも顔なじみなのには驚いた。Y氏が池のそばに行くと、鯉たちが自然に集まってくる。Y氏は鯉たちがかわいいと言って、餌を投げ与えていた。
♪素振りではプロも顔負けナイスオン♪
(赤タイ)
四国八十八ケ所お遍路の旅
虫めがね vol.43 No.3 (2017)
古希を迎えた頃、いつかは四国八十八ケ所お遍路の旅をしようと考えていた。その目的は八十八ケ所を参拝することによる「心の健康」と、歩くことによる「体の健康」を得ることである。昨年の春、思い立って第一回の旅を開始した。偶然だが昨年は閏年であり、閏年の逆打ち(八十八番から逆に回る)は順打ち(一番から順回り)よりはご利益が三倍も多いそうである。
お遍路と言うと、白装束に三角形の菅傘を被り、右手に数珠と持鈴を持ち、左手に金剛杖をついて徒歩で八十八ケ所を回る姿を思い浮かべるが、今ではバスツアーが多い。バスに乗ると言っても四国のお寺は嶮しい山頂や山奥にあることが多い。お寺の麓でバスを降りて、何十段もある石段を登って本堂と大師堂に至る。そこで、線香とろうそくを立て、お賽銭を納め、家内安全・先祖供養と書いた納め札に自分の名前を書いて納札箱に入れる。そして念珠をすりながら般若心経を読経する。これを繰り返しているうちになんとなく心安らかな気持ちになれる。八十八ケ所をお参りし無事結願した時には、誰もが円満な顔つきになるそうである。
旅行会社のバスツアーは毎月一回出かけて、一年で結願となるように計画されているが、旅行会社が計画した日程通りには参加できないことが多く、結願までは二年はかかりそうである。
バスツアーにはお先達さんが同乗され、先導されるので予備知識が無くとも、問題はなく、いろいろなことを教えてもらえる。四国お遍路の由来は古代末期から聖と言われる民間宗教者が四国遍路で修業した、それが江戸時代に大衆化したこと。お寺に入る時と出る時は山門の前で合掌し一礼すること。寺の参道や石段は真ん中を避けて左端を歩くこと。お賽銭は神社の初詣での時のように投げ入れてはいけないこと。金剛杖は杖ではなく「弘法大師」の化身であるので大切に扱わなければならないこと等々、今までは何も考えずに寺院などに出入りしていたが、教えられると、なるほどそうなのかと納得することが多い。
八十八ケ所を結願し、すべての寺で納経帳に朱印をもらったら、今度は本山である高野山金剛峯寺にお礼参りに行く。この納経帳は、自分の葬儀の時に棺桶に入れてもらえば、迷わずに冥土にたどり着けるそうである。
♪嶮し道登ってたどる遍路笠♪
(赤タイ)
小鳥たちの来訪
虫めがね vol.43 No.2 (2017)
わが家の小さな庭には、梅の木と山桃の木が一本ずつ植わっている。冬になり十二月から二月頃には、この木に近くの森から毎朝小鳥たちが餌を求めてやってくる。この時期は森には小鳥たちの食べ物である木の実や昆虫などが少ないせいであろうか。今年の冬はヒヨドリとスズメがほとんど毎朝やって来た。
最初の頃は餌をやろうと窓を開けると、その音に驚いて小鳥たちは一斉に飛び立ち、遠くからこちらの様子を窺っていた。餌を撒いたら、戻ってきて餌をつつき始める。これを繰り返しているうちに、いつの日か毎朝八時ころにはやって来て庭の木に止まり、餌がもらえるのを待っているようになった。そのうちに窓を開けても驚かず、木にじっと止まって餌がもらえるのを待つようになった。
餌と言っても食パンの耳の部分を刻んだものや、ご飯の食べ残したものを与えるだけである。ご飯は余りお好みでは無いようで、熱心には食べず、地面に撒かれたパン屑を先に食べると木の枝に止まって次にパン屑が撒かれるのを待っている。時には蜜柑を輪切りにして木の枝に突き刺しておく。小鳥たちは甘党のようで、これは好んで食べる。
鳥の顔を覚えているわけではないが、ヒヨドリはほぼ決まった数羽が毎朝やっているようである。スズメが食べているところに体の大きなヒヨドリが近づくとスズメはその場を避けるが、飛び立って逃げる様子は無く、共存して仲良く食べている。
ある日のこと、窓ガラスにドンと何かがぶつかる音がした。ふと見るとヒヨドリが窓の下でじっと待っている。この日は我が家は朝寝坊して、十時過ぎまで小鳥たちの面倒を見られなかった。それで、ヒヨドリはいつまで待っても餌にありつけず、しびれを切らして窓に体当たりして「餌はまだか!」と催促をしたものらしい。ヒヨドリの気持ちも分かる。昨日は一日中雪が降り、今朝もかなり寒い。昨日から何も食べ物にありつけず、お腹を空かしていたのであろう。
このように毎朝やって来た小鳥たちも二月も終わりに近づき、春の日差しが射す頃になると、すっかりやって来なくなる。森に新芽や虫たちが動きだし、わざわざ民家まで行かなくても、小鳥たちの食べ物が手に入るようになるのだろう。
それにしても、五、六年前までは、わが家の梅の蕾が膨らむ頃になると、メジロやウグイスがやって来たが、最近は、ほとんど見かけなくなった。何故だろうか。淋しいものである。
♪今朝の鳥餌はまだかと待ちきれず♪
(赤タイ)