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阪神・淡路大地震を思い出す

虫めがね vol.50 No.2 (2024)

ことしの新年は元日の午後四時一〇分、石川県能登地方を中心としたM7・6の大地震で始まった。今も多数の家屋が倒壊したままで、多くの人々が避難生活をされている。倒壊した建物の下敷きになり、多くの人が亡くなった。新年早々に胸が痛むニュースが飛び込んできた。

今もまだ続いている救助活動や復旧作業の状況をテレビや新聞で見ていると、今から二九年前に起きたM7・3の阪神・淡路大地震のことが頭に浮かんでくる。わが家は震源地から離れてはいたが兵庫県に住んでいるのでそれなりの被害を受けた。

地震は一九九五年一月一七日の早朝五時四六分に起きた。当日は、今まで経験したことがない「ゴー!」という鈍い音と激しい揺れで目が覚めた。国鉄も私鉄も止まってしまったので、自分で自家用車を運転して勤務地の宝塚市にある研究所に向かった。途中、道路のあちこちで亀裂が入り、水道水があふれ出ていた。これらの道を避けながら迂回して、なんとか研究所に辿り着いた。研究所で私が日頃使っている居室に行くと、わが机の上に大きなエアコンがドスンと座っていた。天井に取付けてあったエアコンがこの地震で落下してきたようである。もし勤務中で私がこの机についていたら、おそらく私は即死であったろう。

私の机の横には高さ約五〇cmの陶器製の観音菩薩像が置いてあった。この像は数年前に中国から研究所に来訪された人からお土産にいただいたものである。この観音像も落下して首が折れ、破損して床に転がっていた。私はこれらの破片を回収して、接着剤をつかって出来るだけ復元した。これをわが家に持ち帰り、今でも毎朝手を合わせている。地震による傷害を私に代わって引き受けてくれた「身代り観音」である。

生活で困ったことはやはり水道、ガス、電気が止まったことである。水道が止まれば食事の支度や、水洗便所も使えない。水道は数日で復帰したので、カセットコンロを買ってきて食事などの準備はできるようになった。電気も比較的早く、一週間くらいで使えるようになった。一番困ったのがガスである。ガス管があちこちで破損しているので復旧の目処が立たない。ガスがないとお風呂に入れない。食事などはカセットコンロで代用可能だが、お風呂はそうはいかない。カセットコンロでお湯を沸かして体を拭いていたが、それも四、五日すると何としてもお風呂に入りたくなった。遠くに住んでいる友人宅まで家族を連れて車で行って、お風呂を借りたこともあった。ある時は近くのゴルフ場が施設の風呂を無料で開放してくれたので、入浴に行ったことがある。行って見ると大勢の人が来ていて、戸外に順番待ちの行列を作っていた。

話しはまだまだ尽きない。この続きは次回に。

♪息災を願う今年の雑煮箸

(赤タイ)

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