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疫病大流行と社会変革
虫めがね vol.49 No.1 (2023)
中国武漢発の新型コロナウイルス感染症(COVID-19)が流行ってからすでに三年余り経つ。このパンデミックは人々の生活のやり方や政治に変革を強いている。大学の授業ではオンラインを取り入れているし、入学式・卒業式などは本人だけの出席でやったり、同窓会、忘年会、新年会などは中止が増えた。葬式も少人数で行う家族葬が増えた。電車やバスに乗っても皆さんはマスクをしており、以前のように隣席の人とのおしゃべりに興ずる姿は少ない。会社の業務も、営業などの対面が必要な部署を除きテレワークによる自宅での業務が認められ、会社には週に数日顔を出せば良い所が増えた。また、自宅に居ることが多くなり、犬や猫などのペットの飼育頭数が増えた。三密、黙食、クラスター、ロックダウン、ソーシャルディスタンスなど、使い慣れない言葉が定着した。 まだまだ変革は続くだろう。
今から約一三〇〇年前の天平時代にも疫病(天然痘)が大流行した。天然痘はインドが発源地で、インドの仏教の伝播と同じルートでインドから中国へ、そして新羅へ伝播し、九州に侵入したと考えられている。当時、新羅と日本は遣新羅使の派遣や、商人、漁民など人や物の交流が活発に行われており、天然痘はその玄関口である九州にまず侵入した。九州から東進し、当時の首都平城京や畿内以東にまで蔓延した。三年(七三五-七三七年)続いた疫病で当時の日本の総人口約五〇〇万人中一〇〇-一五〇万人(二〇-三〇%)もの人々が亡くなったと「続日本記」に記載されている。時の為政者 聖武天皇は都を平城京から難波京(今の大阪市)へ避難させた。そして仏教に救いを求め帰依を深めていった。諸国に国分寺を建立し、奈良には東大寺を起工し、東大寺大仏の鋳造を命じた。また、中国から高僧鑑真を招聘し、唐招提寺を建立した。やがて平安時代には遣唐使として派遣されていた最澄が天台宗を、空海が真言宗を開き、仏教文化が開花した。
この時、農地を耕作していた大勢の農民が亡くなったため、農地が放棄され、食糧不足が起こった。やむなく農業の生産性を回復させようと「墾田永年私財法」を施行し、農民に土地の私有を認めた。これは土地がすべて国家のものであった律令制が崩壊し、のちに有力貴族や寺社が広大な荘園を持つようになり、貴族政治への変革となる。
天然痘は一七九八年にイギリスのジェンナーが「牛痘」を用いたワクチンを開発し、今では人類社会から消滅したが、天平時代には、そのような方法は無かった。死者も多く疫病に対する民衆の恐怖感も強かったであろう、それ故、社会の変革も桁違いに大きかったことが分かる。
♪テレワーク枯れた頭が追い付かぬか
(赤タイ)