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人は万物の霊長?
虫めがね vol.39 No.2 (2013)
人は「万物の霊長である」と自称している。はたしてそうであろうか。
人は言葉をしゃべることが出来ることをその理由の一つとしているが、アフリカのジャングルに住むチンパンジーは三十五語くらいの言葉を使いわけて、仲間とコミュニケーションをとっているらしいことが判っている。わが家には十五年くらい前から犬を飼っているが、散歩に行きたい時、トイレに行きたい時、寒い時、不審な者が現われた時など、微妙に鳴き声を変えて知らせてくれる。夏に木に止まって鳴くセミは、何種類か鳴き方を変えて求愛とか警告とかのコミュニケーションをとっている。人が言葉をしゃべるということは、他の生物と比較して使える語彙数が多いという量的な違いであって質的な違いではなさそうだ。
人は家畜を飼育したり、農業を行い、食糧を将来の為に貯えるというのが他の生物より優れていると考えられている。これもアリはアブラムシ(アリマキ)を保護し飼育して、アブラムシが出す甘露(糖液)を得ている。ある種のキツツキ、カラス、ネズミは豊富な時期に収穫した食糧を貯え、乏しくなった時に、その貯えを引き出して食べることが知られている。
人は道具を使って自分の生活を便利にしている。ガラパゴス諸島にすむキツツキフィンチはサボテンのとげを口ばしにくわえて、その先を木の穴に突っ込んで、中にいる虫を追い出して、その虫を食べている。カラスが木の実を道路に並べて、その上を自動車が通り、タイヤに敷かれて割れた実の中味を食べているのをテレビで見たことがある。チンパンジーは石を使って硬い実を割って食べることがある。これらは動物も道具を使っている例といえよう。
子を産んで育てるという行為はすべての動物が共通に行っていることで、人の特技ではあるまい。自分の子ども達を一人立ちできるように教育することも、トラやライオンなど、いろいろな動物が自分の子どもたちに獲物の捕らえ方を教えている行為と同じである。
こう考えてみると、人が「万物の霊長」である、その根拠は薄弱になってくる。
ところが、最近ある動物園の園長から次のような話を聞いた。
「親が子どもの面倒をみて、育てるのは多くの動物で見ることが出来る。しかし、その子どもが成長して、年老いた親の世話をするのは人間だけです」
これは「万物の霊長」と胸をはって言える根拠かもしれない。
「年老いた 親のしあわせ わがしあわせ」
(赤タイ)