馬と鹿
虫めがね vol.38 No.5 (2012)
宮崎県の南の端、鹿児島県と接するところに串間市がある。そこに全国でも珍しい野生馬の生息地「都井岬」がある。ここに、約八十頭の野生馬が生息している。これは、江戸時代に高鍋藩秋月家が軍馬を生産するために、この岬に放牧したことに始まる。当初から自由放牧、自然繁殖させていたが、それがそのまま野生化したものである。野生馬なので自然に生まれ自然に育ち自然に一生を終える。餌を与えたり、馬小屋を造るなどの人の手は加えられていない。串間市の職員で、この岬馬を管理しておられる秋田優氏の案内でこの岬馬を見学した。
ここは馬としては唯一、「自然における特有の動物群集」として、国の天然記念物に指定されている。オス一頭に対してメス二~三頭でハーレムを形成し、これに子馬が入って五~六頭で群れを作って行動している。餌となる牧草や飲み水を求めて、つぎにどこに移動するかなどは、子馬を伴っている雌馬が決める。その場合、年長の雌馬が主導権を握る。リーダーの雄馬は自分のハーレムを後方から見守り、外敵や他の馬の群れとの諍いが起こらないように見張っている、また、繁殖期間中は、オスは自分のハーレムのメスの排泄物に自分の尿をかけて、他の雄馬が興味を示さないように、繁殖に関する匂い情報を消してしまうなど、興味深い説明を受けた。
ところが、この野生馬の群れの中に、いつの頃からか一頭の牡鹿が紛れ込んで共存して生活している。お互いケンカもせず、居心地が良いのか鹿はここから立ち去ろうともしないし、馬の方も何の警戒心も示さない。お互い利害関係がない為であろう。馬と鹿にとってはそうかもしれないが、日本語を話す人にとっては馬と鹿の共存はある意味を持ってくる。「馬鹿者」、「馬鹿なことをする」などである。ここでの共存を見ていると、馬鹿な仲間とは思えない。両者は自然に溶け込んでのどかに生活している。
馬鹿の語源には諸説あるようだ。史記の「鹿を指して馬という」の故事を語源とする説が最もわかりやすく普及しているが、サンスクリット語(梵語)で「愚か、痴」を意味するmohaの音写である「莫迦(ばくか)」であり、馬鹿はその当て字であるというのが正しいようだ。つまり仏教とともに、わが国に入ってきた言葉で、馬鹿は単にその音を当てはめたわけで、馬と鹿にとっては、大変迷惑な話である。
ただ、映画の「釣りバカ日誌」や、「親ばか」、「バカ当たり」など、必ずしも悪くない意味で使われる例もある。都井岬の例は「ばかに仲の良い馬と鹿」と言えるかもしれない。
(赤タイ)