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蚊がパナマ運河建設をあきらめさせた

虫めがね vol.37 No.5 (2011)

蚊の攻撃がパナマ運河建設を諦めさせたと言うと、そんなことは無い、パナマ運河は現に存在しているではないかと反論されるかと思う。が実はこうなんです。

一八六九年、エジプトのスエズ運河建設に成功したフランス人レセップスは、今度は米大陸の太平洋とカリブ海の間に運河を作ろうと計画しました。一八八〇年にフランス政府の後押しで、パナマ運河の掘削を開始した。ところが、開始時に工事監督としてヨーロッパから技術者を五百人くらい連れていったが、そのほとんどが黄熱病とマラリアで死亡するか、重症となり作業が出来なくなりました。

その後も、黄熱病やマラリアの蔓延で犠牲者は増し、これらの病気による工事関係者の犠牲者は三万人近くになったと伝えられている。それで、とうとう一八八九年にレセップスは計画をあきらめざるを得なくなりました。蚊の猛攻でパナマ運河建設が失敗したわけです。

黄熱病は感染すると三~六日の潜伏期の後、発熱、頭痛、筋肉痛などに苦しみ三~四日で死に至る。今はワクチンがあるが、当時は死亡率二〇~三〇%の恐ろしい熱病でした。マラリアは感染すると三九~四〇度もの高熱を出し死亡する。今でもアフリカを中心に年間百万人以上の犠牲者が出ている。いずれも蚊を媒介昆虫(ベクター)とする恐ろしい感染症です。

パナマ運河は中米のパナマ海峡にあり、このあたりは湿地帯で水たまりが多い。黄熱病やマラリアの媒介昆虫であるネッタイシマカやハマダラカの発生は多く、大流行の条件は整っていたわけです。レセップスはすでにスエズ運河を開通していたので、技術と経験は持っていたはずだが、スエズは乾燥地帯にあり蚊による攻撃は経験がなかったわけです。もっとも、当時はこれらの熱病にかかるのは酒好きやギャンブル好きなどの生活の乱れが原因とされていました。

現在のパナマ運河はレセップスが諦めた一四年後の一九〇三年にアメリカが工事を再開し、七万五千人以上の作業者が十年以上の歳月をかけて完成させたものです。この時は蚊がマラリアや黄熱病のベクターと判り始めていたので徹底的に蚊対策をやり、運河開通に成功したものです。

わが国では、些細な事を「蚊の食うほどにも思わぬ」と言うが、これは、小さな蚊が、運河建設という大工事をとめるほどの力を発揮した例です。

(赤タイ)

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