木材保存誌コラム

ホーム > 木材保存誌コラム > みちくさ

木材保存誌コラム

カーボン・なんとか・2

みちくさ vol.47 No.5 (2021)

前回に続き、まずは「カーボン・プライシング(CP)」の話。

これは気候変動問題の主因である炭素(正確には「二酸化炭素」だろうと思うが)に価格を付ける仕組みのことで、これを排出する企業などに排出量見合いの金銭的負担を求めることが可能になるという。この具体的な制度には「炭素税」と「排出量取引制度」がある。この内容については、ネット上に様々な情報が出ているので参考になる。この二つの制度は同時に用いることができ、数多くの国で両方の制度が導入されている。

ところで最近気になっているのは、電気や水素を使って走る自動車のこと。これらは確かに走行時には二酸化炭素を発生しないのだが、これらを作る過程ではどうなんだろう。

電気の方は発電時に用いる燃料によって二酸化炭素排出量は異なるわけだが、日本全体では発電量1kWhあたり540kg、人口1人あたり約9トンくらいだそうである。世界的に見れば石炭火力比率の高いインドは770kg、中国は660kgであるが、これを人口一人あたりに直すとインド1.6トン、中国6.6トンである。逆に排出量が少ない国は水力と原子力でほぼ電力供給をまかなうスウェーデン11kg、原子力発電比率の高いフランスが46kg。化石資源依存から原子力にする方が二酸化炭素排出量を減らすにはよい、との意見はこのようなデータに基づいているようだ。

では水素は?これはそのままの形では地球上に存在していないため、燃料電池に使うためには、まとまった量を人工的に作り出さなければならない。

現在主流となっているのは天然ガスや石油といった化石燃料から水素を取り出す方法とのこと。また水の電気分解による方法もあるが、それに必要となる電力は先述のような状況にあるので、一体何がクリーンなのか、と思ってしまうわけだ。

その他、メタノールやエタノールと水を蒸発させ、触媒を使って反応させることで、発生した水素を分離する方法。これは化石燃料よりも安全性が高く、その原料に植物や生ゴミなどから生まれたメタンガス、エタノールなどバイオマス燃料が使えれば、よりクリーンなエネルギーになるわけで、それを目指して研究が進められているとのことである。

(徒然亭)

ページトップ

カーボン・なんとか

みちくさ vol.47 No.4 (2021)

前回の続きである。

ネット検索したところ、日本総研の経営コラムに「カーボンニュートラルって何?」というのがあった。二〇〇八年八月十九日、村上芽氏の執筆である。

読むと「この言葉は特定の人間活動が大気中に炭素を純増させないことを指す。二〇〇六年のオックスフォード・アメリカン・ディクショナリーが取り上げた。」とあり、このあと「カーボンのフットプリントを小さくしてオフセットしたら、ニュートラルになる」、または「フットプリントをゼロまで小さくしてニュートラルになる。」と続く(お分かりか?)。

まぁ、ここまでは「定義」の話ではあるから、特別の問題はない。しかし、このあと、もう十年以上も前に書かれたとは思えない、まさに現在を予見したかのような内容が続く。曰く、

「最近は、オフセット商品が増え、〈ニュートラルです〉と宣言する活動や企業も出てきている。

このような用語に接するときには、〈何をニュートラルといっているのか、範囲(バウンダリ)に注目する〉〈バックデータが公表されているか、透明性を確認する〉といった視点を持つことをお勧めする。」

とある。当時、既に企業の側では、対象が不明瞭あるいはバックデータ不足などの問題点も指摘され始めていたとのことである。そして「温室効果ガスの大幅削減が急務な中で、このような取り組みを行う企業は少なからず先進的なやる気に満ちているはずで、せっかくなら逆に批判されないようなニュートラルであってほしい。」と結んでいる。

前述の視点のうち、カーボンニュートラルとカーボンオフセットの混同例は論外としても、例えば環境金融研究機構の記事に『経産省の「グリーン成長戦略」文書、引用した英米データの記述に「誤り」発覚。』というのがあるなど、バックデータの信頼性の面でも問題は多いようだ。同記事では『都合のいい情報だけを恣意的に並べ立て、「政府の決定事項」であるかのように装う役所に、エネルギー政策を委ねている政治にも大きな責任がある。』と記載している。

(徒然亭)

日本総研:https://www.jri.co.jp/page.jsp?id=7161

環境金融研究機構:https://rief-jp.org/ct5/109868?ctid=0

ページトップ

最近、気になっている言葉

みちくさ vol.47 No.3 (2021)

現在でも「木材利用と環境負荷」といったタイトルでお話することがある。

このときのキーワードの一つが「カーボンニュートラル」。すなわち環境科学上の定義では「植物由来物質の燃焼・分解に伴って排出される二酸化炭素量は、その植物が成長過程で吸収した二酸化炭素量と等しい」ことを示した概念であることは本誌読者には自明のことであろう。

そしてこの「植物由来の物質」の代表格として木材が取り上げられ、例えばこれを燃料として用いたとき発生する二酸化炭素は、樹木の成長過程で取り込まれたものであるため、大気中の二酸化炭素総量の増減には影響を与えない。そのように考えると、木材を燃料として用いても、石炭や石油のような化石燃料を使用した場合のような二酸化炭素は排出していない、ともいえるわけだ。

この言葉、地球温暖化の主な原因の一つと考えられている大気中の二酸化炭素濃度の上昇を抑えようとする動きの中で頻繁に登場するようになった。

そのきっかけの一つは昨年十月の臨時国会で、菅総理が行った「我が国は、二〇五〇年までに、温室効果ガスの排出を全体としてゼロにする、すなわち二〇五〇年カーボンニュートラル、脱炭素社会の実現を目指すことを、ここに宣言いたします」といった発言であろう。

経産省のホームページでは「カーボンニュートラル」の「ニュートラル(中立)」が意味するところを、環境省のカーボン・オフセット制度の定義を引用し、次のように説明している。

『温室効果ガスについて「排出を全体としてゼロにする」とは、「排出量から吸収量と除去量を差し引いた合計をゼロにする」ことを意味します。つまり、排出を完全にゼロに抑えることは現実的に難しいため、排出せざるを得なかったぶんについては同じ量を「吸収」または「除去」することで、差し引きゼロ、正味ゼロ(ネットゼロ)を目指しましょう、ということです。』

この説明は一応理解できるものの、環境科学としての純学問的定義とは異なった政治経済的方向を意識しているような印象を受けるのは筆者だけなのだろうか、と思ってしまう。それに「脱炭素社会」っていったい何のこと?

(徒然亭)

ページトップ

十年前のあの日

みちくさ vol.47 No.2 (2021)

東日本大震災発生から十年。

あの日、僕は「国交省・林野庁連携プロジェクト:木のまち・木のいえ担い手育成拠点事業」成果報告会での発表のため、東京の水道橋にいた。

発生直後、近くの公園に避難したものの、ほどなく揺れが収まったため報告会は再開された。東京は震度5強であったという。

夕方、災害の全容が次第に見えてきた。その時点では震源やその規模、そして「大津波」の状況であった。都内の交通機関は止まってしまっていたが、僕は秋葉原に宿をとっていたため、路頭に迷う状況には至らなかったのは幸運だった。

この後、震災に関連した執筆や講演の依頼があった。そのうち二〇一一年十月の「木材工業特集」の「災害と木材需給」では、

『災害にはいろいろある。今回の東日本大震災では地震・津波、それにこれまではあまり考えてこなかった放射線である。そのほか火災、台風等による風害、水害、さらに冷害、異常高温等の天災、これに戦争等の人災が加わる。

いろいろな災害が起こったのち、その復旧・復興のためには大量の土木建築資材が必要となる。木材は、古くからそのような資材の中心であったわけだが、災害が木材の需給にどのように影響を及ぼしてきたか、それをまず眺めてみよう。』といくつかの史料を示している。

例えば一九二三年の関東大震災のとき政府は緊急勅令をだし、罹災民避難場所として「バラック」を一二万戸建設、木材資材三・二万立方米、そのほぼ半数を秋田・青森から輸送する計画を立てている。「当時不景気に苦しんでいた秋田の木材業者たちが、これを不況克服の好機としてとらえるのは当然」で、「大震災に多大の望みをかけ狂奔した。しかしその震災契機は短い期間でしかなかった」「震災景気に沸きかえっているとき、すでにそこには木材産業が転換を余儀なくされている要因が同時に進行していたのである」と能代木材産業史には書かれている。

一九九五年の阪神・淡路大震災では震災や戦後復興のときに起こったような木材需要の増加はほとんどなかったのであるが、東日本大震災のときはどうだったのであろうか。そろそろ検証してみてもいい時期であろう。

(徒然亭)

ページトップ

昨年の流行語大賞

みちくさ vol.47 No.1 (2021)

昨年の流行語大賞予想を、よせばいいのに、このコーナーで4回も面白がって続けてしまった。

ここでは「新型コロナウイルス」に関連したものが多くなる、とした。そして昨年末に発表された結果を見ると年間大賞には「3密」、トップテン中に「新しい生活様式」の中での社会経済活動にまつわるワードも加えると、過半数が関連したものになっていた。すなわち「アベノマスク」「アマビエ」「オンライン○○」「GoToキャンペーン」「ソロキャンプ」である。

個人的には「ソーシャルディスタンス」あるいは「巣篭り」の方がよいと思っていたが、「3密」について、選考委員の言語学者の金田一秀穂氏は「これは健気な日本語である。いくつかある大切な項目をまとめる言い方が日本語にはあって、得意技ともいえる。この悲劇的厄災の中にあっても、日本語はその特性を発揮して注意すべき心得をまとめて表し、予防を喚起した」と評したのだそうだ。

これらトップテン、年間大賞語の授賞式には例年、関連する人物が出席するとのことで、「もしコロナワードが賞に選ばれた場合、誰が出席するのでしょうかね」と前回、書いたのであるが、その出席者を見ると、「3密」は小池東京都知事(ただしリモート参加)、「アマビエ」は妖怪研究家湯本豪一氏、「ソロキャンプ」は芸人ヒロシ氏、まぁこの辺りまではなんとなく想像できる。

分からなかったのは「オンライン○○」の東北新社と「アベノマスク」のサラダボウルである。そこで少し調べてみた。前者は社内で行った総勢千名以上参加のオンラインレクリエーションの評価結果なのだそうだ。また後者は「アベノマスクがご不要の方、ハートマスクプロジェクトの回収BOXにご寄付下さい。武蔵野日赤病院で小さめサイズのアベノマスクが入院中の子供達にちょうど良いそうです。」とツイッターで呼びかけた武蔵野市のNPO法人であった。

ただ「GoToキャンペーン」は前官房長官か、とも思ったが、さすがに授賞式には誰も出席していなかったようだし、「アベノマスク」も前首相というわけにはいくまい。

この原稿を書いている最中にも、連日のごとく「感染者数、過去最多」が報じられている。そして2回目の緊急事態宣言。

(徒然亭)

ページトップ

前の5件 1  2  3  4  5  6  7  8  9  10  11