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五十回目

みちくさ vol.49 No.1 (2023)

筆者は二〇一四年の四月に退職した。そしてその数か月後、この「みちくさ」の連載執筆依頼が届き、有難くお受けした。なぜ私のもとにお鉢が回ってきたのかは不明であるが、以来、八年余、今回が五十回目になってしまった。

ただしこの「みちくさ」は筆者の前にペンネーム「世界の木窓から」さんの執筆によるものが、計十二回掲載されている。その最終回のタイトルは「英語が上手になるには?(6):最終回の回」とあったから、このコーナーを楽しみにしていた方々は残念がっていただろうなと思う。

このコラム欄は執筆者がもう一人おられて「赤タイ」というペンネームを使っておられる。お年は「後期高齢者」だそうだから、間違いなく同世代で、連載は八十五回くらいのはずである。ただし、どなたかはいまだに知らされていないし、たぶんその方がよい。

ところでこの第一回目では「コラム」という言葉にこだわり、「新聞や雑誌で、短い評論などを載せる欄、罫で囲まれることが多いからコラム(円柱形の柱)と呼ばれることになった」とか、「事象に対してあくまで自分の考えで〈こう思う〉というスタンスで書く人がコラムニストなのだそうだ。」と書いている。

この内容自体、変わりはないのだが、最近のネットに「良質なコラム記事を書けるようになるために」といった記事がいくつかあることを発見した。そしてエッセイやブログは「個人の体験や主観、感想を自由に述べた文章」、共感しやすく読み物として楽しめるものであるのに対し、コラムは「その記事を読むことで、読者が何らかの利益を得る」ことを目指して書く必要があり、正しい情報をもとにした自身の意見を論理的に説明するような書き方が求められるのだそうだ。つまり客観的な事実を述べるだけではなく、ライターの考え方や評論を述べている点であるから、その意見には、しっかりした「根拠」や「論理性」が必要になってくる、と書かれている。

このような「コラムの意味・書き方」を読んでしまうと、この先の原稿執筆が少々不安になってくるが、まぁ、これからも「小生流エッセイ風コラム」で勘弁してもらうしかない。

(徒然亭)

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