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「山線」のこと
みちくさ vol.48 No.2 (2022)
今回は、前回触れた函館本線のうちの小樽―長万部間、いわゆる「山線」にまつわる、かなりマニアックな話である。
僕の最初の長距離移動は父の転勤に伴う、小樽―東京―大阪の往復である。往路は小学校1年生の時(一九五四年)であり、その6年半後、中学校2年生の秋(一九六〇年)に逆の経路を辿って北海道に戻ってきた。無論、いずれも汽車旅である。
その記憶をたどり、いくつかの情報―ネットを検索すると、優等列車については、時刻、編成、牽引機関車まで調べられるようになっている―で補足してみた。
まず往路。急行アカシヤ(小樽一一:四四―函館一七:二〇)、青函連絡船四時間半(函館一七:五〇―青森二二:三〇)、急行北上(青森二三:〇五―上野一三:〇五)一四時間。東京―大阪間は不明であるが、特急に乗った記憶はない。昼間の急行なら一〇時間くらいかかったはずである。
次いで復路。大阪―東京は初めての153系電車急行「せっつ」(大阪一四:〇〇―東京二一:四四)八時間弱、翌日、青森まで常磐線経由気動車化前の蒸気機関車牽引特急「はつかり」(上野一二:三〇―青森二三:五八)一一時間半、夜中、青函連絡船四時間半(青森〇:二〇―函館四:五〇)、急行「大雪」五時間弱(函館五:三〇―小樽一〇:一三)。
東京―小樽はこの頃、この組み合わせが最短時間で二〇時間以上はかかっていた。
で「山線」区間の牽引機関車。一九五七年以降は、ここを通る3本の急行列車(大雪・アカシヤ・まりも)はいずれもC六二重連であるが、筆者が往路に乗った一九五四年時点ではD五一の重連だったようである。ちなみに同区間を走る準急はD五一単機。また室蘭本線経由の急行というのもあってこちらの方はC五七単機牽引だったが、函館―札幌間の所要時間は山線経由と大差なかったという。
その後、学生時代の研修旅行、就職試験などのときに使ったのはこの「山線」であった。もっとも、北海道から本州に行くこと自体、大変なことで、若いころは「旅を楽しむ」なんて気分にはなかなかならなかったように思う。そりゃあ飛行機の方が楽だもの。
(徒然亭)