川柳と俳句(2)
虫めがね vol.47 No.2 (2021)
数年前に「川柳と俳句」の題目でこのエッセーを書いたが、その続編を書いてみる。
最近は俳句ブームと言われている。それはTBS系列テレビで八年あまりも続いている毎日放送制作の「プレバト!」という人気バラエティ番組に負うところが大きい。俳人の夏井いつき先生に浜田雅功というお笑い芸人を司会者に、梅沢富美男などの芸能人が作った俳句を夏井先生が査定する。芸能人が作った凡作の句でも夏井先生の添削で見違えるような秀句に生まれ変わる。その鮮やかさが素晴らしい。また、夏井先生と司会の浜田、芸人代表の梅沢とのトライアングルの掛け合いが絶妙でおもしろく、毎週ほぼ欠かさず見ている。
わたしは友人にカルチャーセンターの川柳教室に通っているというと、「ほう」と言って何か代表作数句を紹介してくれと言われる。カルチャーセンターに通ってはいるが、なかなか秀句は生まれない。川柳の先生の言によると川柳は生涯の修業だそうだ。わたしはそんな心掛けはなく、単に老後の趣味としてやっているので、いっこうに上達しない。それでも新聞の川柳欄に投句して、時々掲載されることもある。
次に友人から出る質問は川柳と俳句はどこが違うのですか、である。両方とも五・七・五の句ですが、俳句は季語や切字を入れるなどのいくつかの決まりがある。川柳は比較的自由ですと説明しても大抵は「ふんふん」と聞いているだけ。それで最近は実例を挙げて説明することにしている。
♪柿くへば鐘が鳴るなり法隆寺
これは愛媛県出身の俳人・正岡子規の有名な俳句です。奈良の都の澄み切った青空に大きく枝を張った柿の木に赤く色づいた柿が実っている。それを一つ採って食べていると遠くで法隆寺の鐘の音が低く「ゴーン」と響いてきたという句です。まさに奈良の都の雅な情景が目に浮かびます。法隆寺の境内には子規の筆跡によるこの句の句碑が建っています。
♪柿食えば故郷(ふるさと)の老母(はは)目に浮かぶ
この川柳の作者は赤タイ(つまり私)です。子規の句との比較の為にあえて上五は同じにしました。柿を食べていると、子どもの頃、母に皮を剝いてもらって食べた頃の、今は老いた故郷の母の姿を想い出すという内容です。母と故郷の思いを詠んだ句です。子規の俳句はきれいな情景描写(風景画)ですが、赤タイの川柳は人物描写(人物画)です。このように説明すると「なるほど」と理解してくれるようだ。
今回は過去に毎日新聞に掲載された赤タイの川柳を紹介する。
♪人類は今や地球のお荷物か
(赤タイ)
長崎出島と鎖国政策
虫めがね vol.47 No.1 (2021)
学会で長崎に行ったついでに国指定史跡「出島」を見学に行った。当時は島であったのだろうが、今は埋め立てられて陸続きとなっている。路面電車で、「出島」という電停で降りるとすぐに出島和蘭商館跡入口が見えてくる。
徳川幕府は鎖国政策を採り、日本人の海外渡航を禁じ、海外からの帰国者は死刑にした。それと同時に外国船の来航も制限した。しかし外国船がもたらす生糸、絹織物、ラシャ、象牙、砂糖、ガラス製品、胡椒など、珍しい物品は幕府としても手に入れたかった。それで、一六三四年に長崎に人工島「出島」を築き、外国船は、この出島に限って来航を認めた。初めはポルトガル人が出島に居住したが、一六三七―三八年に島原の乱が起った。これは島原藩の過重な年貢やキリシタン弾圧に反抗した農民たち信徒が、天草四郎時貞を首領として島原の原城に籠って起こした大規模な一揆である。幕府はこれの鎮圧に手こずった。
島原の乱でキリスト教に危機を感じた幕府は、一六三九年にキリスト教を布教しているボルトガル人を出島から追放した。ポルトガル人を通してビジネスをしていた出島町人は困った。出島築造の費用はこれらの町人たちが出資していたのだ。それで宗教活動が制限されても貿易は行うオランダ人が一六四一年以降は出島に住むことになった。これから約二百年間はオランダ人が居住することになる。
通常は出島にはオランダ人の商館長、倉庫長、書記役、商館医、料理人、召使いなどが約十五人、その他に、長崎奉行所の役人(四人)と日本人の遊女数名が居住した。季節風を利用して、毎年七~八月頃、二隻のオランダ船がやって来て四ヶ月くらい滞在する。船長を除き一般乗組員は出島に宿泊場所は無く船内に宿泊する。明治になってわが国が開国した後は、出島は埋め立てられ住宅や商店などが建ち、往時の姿は無くなっている。現在、少しずつ計画的に復元が進められている。
鎖国政策と聞くと、日本人を鎖で国内に縛り付けて、自由がないような負のイメージが強いが、良い点もいろいろある。能、狂言、浮世絵、日本刀、日本酒、日本料理など、海外の影響を受けずに、日本独自の文化が発達した。また、外来感染症の侵入も出島という水際で止められた。歴史上、中国、ヨーロッパなどで何度も大流行(パンデミック)したペスト(黒死病)が日本に流入したのは日本が開国した明治になってからである。今年(令和二年)になって日本中に大流行している中国武漢発の新型コロナも、当時であれば、日本中に広まることはなかったろう。
♪近頃はコロナ理由に義理を欠く
(赤タイ)
自然緑地「北雲雀きずきの森」
虫めがね vol.46 No.6 (2020)
わが家から歩いて三十分くらいの所に「北雲雀きずきの森」という自然緑地がある。この名前の由来は、自然の移り変わりに「気付き」、自然の木々を愛し「木好き」、そして、より良い里山を「築く」というテーマのもとに名づけられたそうだ。なかなか佳い名前である。この森は、石切山(標高284m)と釣鐘山(標高205m)の北側の丘陵に位置している。古くは里山として周辺の村人たちが、薪や芝を利用し、松茸取りなど、生活に利用していた。時代が進み、各家庭の煮炊きや風呂沸かしなどに薪は使わなくなり、山は利用されなくなり荒れ放題になった。これを数年前から宝塚市が自然緑地として整備を始め、遊歩道やベンチ、テーブルが出来て、われわれ地域住民にとっては快適な自然散策の地となっている。
人が手を加えて植林した森ではなく、自然のままの雑木林なので、小鳥や昆虫たち、そして植物にとっても楽園である。春にはウグイスの鳴き声が聞こえる。メジロ、キジバト、ツグミ、カケスなど、多種類の野鳥も観察される。夏には、アブラゼミ、クマゼミ、ツクツクボウシ、ヒグラシなどの鳴き声が姦しい。そして、その主役の変化が夏の移り変わりを知らせてくれる。また、子どもの頃、古里の田舎で採って食べたアケビや山芋、わらび、ゼンマイなどもここで採集できる。
先日、きずきの森の坂道をのんびりと歩いて下っていたら、大きなアオダイショウが前方を悠然と横切っている。一瞬「ギョツ」としたが、蛇たちにとってもここは楽園なんだろう。
小さい子ども連れの家族や、老人夫婦や犬を連れて散歩している人などとすれ違う。この散策で気持ちが良いのは遊歩道ですれ違うと、お互いに「こんにちは」と挨拶し合うことである。街中では見知らぬ人とすれ違っても挨拶をする習慣はなくなっているが。
数年前に、この地に隣接する森を切り開いて太陽電池パネルを設置する大がかりな太陽光発電所建設の計画が持ち上がった。何度かの住民説明会があり、地域住民は自然破壊になると反対をした。しかし、市の許可は下りたと言うことで、いつ工事に着工するのかと思っていたら、今回の新型コロナウィルス問題が起こり、着工は延期された。そのうちにこの計画は立ち消えとなった。聞くところによると、この計画を進めていた企業が経済的に行き詰って倒産し、それに伴い、太陽光発電所計画もご破算になったらしい。今回の新型コロナウィルスが自然破壊から森を守った例である。
♪栗拾い旨い果実は棘の中
(赤タイ)
夏の風物・蚊取り線香
虫めがね vol.46 No.5 (2020)
夏になり「ブーン」という蚊の羽音が聞こえてくると蚊取り線香を焚きたくなる。因みに「虫」編に「文」の「蚊」は、この羽音に由来している。日本の夏には欠かせないこの蚊取り線香は関西のある日本企業が発明したものである。今では世界中(蚊が多い東南アジアが中心)で使われている。これは、初期は古くからある仏壇線香に殺虫成分ピレトリンを含む除虫菊粉を練り込んで作った。今ではピレトリンの代わりに、合成ピレスロイドが使われている。合成ピレスロイドの方が、安全性が高く殺虫効力も良くなるように改良されている。仏壇線香のような棒状の蚊取り線香だと、一~二時間で燃え尽きて効力が終わる。これを渦巻状に成型することにより約七時間持続するように改良したところに大きなイノベーションがある。このアイデアを提供したのが、女性(先に述べた関西企業の創業者の奥方)であると言うのが興味深い。
明治二三年(一八九二年)に棒状蚊取り線香が、明治三五年(一九〇二年)に渦巻型蚊取り線香が販売されたと言うから、ほぼ一二〇年ちかく私たちの身近に使われていると言うことになる。驚異的である。ある商品が百年以上も同じ市場で受け入れられている事例はそんなに多くはない。新商品に取って代わられて市場から消えてしまう物がほとんどである。
「蚊取り線香はなぜそんなに超ロングランで使われているのでしょうか」
ある時、蚊取り線香を発明した企業の研究開発者に尋ねたことがある。彼の説明は、
「比較的安くて使いやすいことです」
確かに、マッチ一本あれば、どこでも使える。今では、家屋内のみならず、庭でこども達と花火をする時や、バーベーキュウをやっている時、盆踊りの時、それに腰にぶら下げて草取りをやったりなど、いろんなところで、手軽に使われている。
わたしは以前、蚊取り線香の厚みと殺虫効力の関係を検討したことがある。線香の厚みが大きいと中心部にある殺虫成分は線香の内部から放出されず熱分解してしまう。それだけ殺虫効力は減殺される。一方、厚みが小さいと放出は良いが線香が折れやすくなる。これを調べた結果、厚みは〇・四二cmが最適という結果を得た。それで、わが国で市販されている各種蚊取り線香を買ってきて計測したところ、それらは〇・三六―〇・四二cmの間であった。つまり、わが国で昔から経験的に製造されている蚊取り線香は最適の厚みと一致したわけである。
♪猛暑にも耐えてステテコ生ビール
(赤タイ)
Quarantine(検疫)
虫めがね vol.46 No.4 (2020)
海外旅行で目的地の空港に着くと、まず、「Quarantine」と、何とも英語らしくない表示のある所に行く。検疫するところである。熱があるとか、何らかの健康上の異常がある人は申告して検査を受けるが、通常は予防接種証明書を示して終わる。次に、「Immigration Control」の表示の所に行き、パスポートを提出し検査を受ける。最期に「Customs」の表示の所に行き、手荷物検査を受けて無事入国となる。
十四世紀の中頃、ヨーロッパでペストが猛威を振るった時期があった。農村人口の四分の一、都市部では三分の一近くの人々が亡くなった。この時、東方貿易の玄関口であったベネチア共和国(今のイタリア北東部)では、ペストの感染者が乗船している船は入港させず、ペストの潜伏期間と考えられた四十日間(Quarantena giorni)、港の外に強制的に海上停泊させた。四十日後に健康なことが確認されたら入国を認めたのである。従って、Quarantineとは、ベネチア地方の言葉Quarantena(四十の意味)が語源である。ベネチア港沖に停泊していた船では、食料の補給はあったが、当時はペストの治療薬があったわけではないので、停泊中に船内で大勢の死者が出た。
今年の二月に三、七一一人の乗員乗客を乗せた大型クルーズ船ダイヤモンドプリンセス号が横浜港で検疫の為に十四日間停泊させられた。新型コロナウイルス(COVID-19)の感染者が見つかった為に、コロナウイルスの潜伏期間と考えられる十四日間である。十四日後に症状がなく、PCR検査で陰性の人たちは入国を許可された。
十四世紀のヨーロッパのペストは、大勢の人々が亡くなると言う恐怖を身近で目にした人々に、その後の意識や生活様式に大きな影響を与えた。「神を信ずる者は救われる」と教えてきた宗教が何も人々を救えず、神父も同じように死んでいくのを見て、教会の権威も低下した。これが、後の宗教改革の布石となった。また、農業の担い手である農奴が大勢亡くなり、厳しい労働力不足が起こり、封建制度の崩壊を早めた。
今度のコロナ禍でも人々の意識が変化し、生活様式を変化させるだろう。人類は個々としては強くないが、人と人が力を合わせて協力して危機に対応し、獲物を捕ってきた。そのように進化してきた。ところが今回のコロナ禍は「三密を避けろ」と言う。現代は医学も発達しており、治療薬やワクチンもいずれ開発されるだろう。しかし、おそらく事態が収束しても、生活は元にはもどらないだろう。限られたスペースに大勢の人々が集まるイベントは、例えば結婚式、映画館、オリンピック、野球、相撲、忘年会、他にも色々あるが、変化せざるを得ないだろう。オンライン飲み会やテレワークなどすでにその萌芽は現れている。
♪ウイルスで知った 世界は狭い小屋
(赤タイ)