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阪神・淡路大地震を思い出す(続編)
虫めがね vol.50 No.3 (2024)
阪神・淡路大地震の時は、わが家は家屋が倒れるほどではなかったが、かなり揺れた。敷居が歪んで、玄関の扉や居間の障子や襖が開閉出来なくなった。家の周囲の地面にはあちこちに大きな亀裂が出来てポッカリと口を開けている。地震の揺れは地下を帯状に走っている様子で、わが家は食器棚が倒れるほどの大きな揺れは無かったが、わが家から道一つ挟んだお向かいの筋では食器棚が倒れて、中にあった食器類はすべて落下して大きな被害を受けた家が多い。
目下必要な生活用品を確保しようとスーパーに買いに走ったが、インスタントラーメンやパンや飲料水が入ったペットボトルなどは早々に食品棚から消えていた。トイレットペーパーや乾電池、使い捨てカイロなども売り切れていた。誰もが必需品なので買い込んでいくのであろう。わたしの出だしは遅かったようだ。
阪神沿線に住んでいて大阪に勤務する人たちの通勤スタイルが変わったのが印象的であった。従来は背広に通勤かばんを提げて通勤していたビジネスマン達が、この時にはほとんどの人達が背広姿に大きなリュックサックを背にして通勤している。仕事が終わって帰る時に、大阪のスーパーなどに寄って食料や生活必需品を買ってリュックに入れて家に持ち帰る為である。夕方になると神戸方面へ向かう電車の中は帰宅を急ぐこのスタイルの人達で一杯になった。このリュック通勤のスタイルは一年くらい続いたであろうか。
私が住んでいる周辺では幸いにして地震による人身傷害は無かったが、記録によると神戸市や淡路島を中心に、六四〇〇名を超える人びとが亡くなっている。私の友人の神戸大学の学生だったご子息や神戸にお住いの会社の先輩が倒壊した家屋の下敷きになって亡くなられたなどの悲しい報は少なからずある。ご家族の方に何と言葉をかけたら良いのか困ったのを覚えている。
阪神高速道路の神戸線の橋脚が折れて六〇〇mくらいが倒壊したことは、当時、新聞などで報道されたので、皆さんもご存知だと思う。私の会社の同僚がオートバイに乗ってこの高速道路を走って出勤する途上で揺れに遭った。彼は揺れに気付いて早めに高速道路から降りたので助かったが対応が遅れていれば、高速道路の落橋に巻き込まれて大事故になる所であった。九死に一生を得たわけである。
百年あまり前の関東大震災の例もあり、これまでは関東は地震があるが、関西は地震はない、安全な地と思っていた。用務で東京に出張した時などは関西に戻ってきたら、ほっとしていた。でも、今では日本列島どこに居ても地震はあると思っている。
♪苦節超え 今陽風に舵を切る
(赤タイ)