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「ロンドン大疫病」とニュートン

虫めがね vol.47 No.3 (2021)

一六六四年十一月にロンドンの西部でペストが発生しました。その後、しだいに東部、北部にも広がり、ロンドンの各所で猛威をふるいました。翌年の夏頃には一晩のうちに千人もの人が亡くなりました。大学も閉鎖され学生たちは故郷へ帰りました。宮廷もロンドンからオックスフォードへ避難しました。貴族や紳士のようなお金もちは家族や使用人を引き連れて、ロンドンを脱出し、田舎の別荘や知人を頼って避難しました。貿易商や船主などの富裕者はロンドンの中心を流れるテムズ河に船を浮かべて家族で船上に避難した人たちもいました。数百隻の帆船がテムズ河に並んで浮かんでいたそうです。一般庶民は田舎へ避難しようにも、生活の手段(生活費)が無いのでロンドンに居るか、一部は郊外や森に避難しました。当時のロンドンの人口約四十六万人のうち、約六万九千人がペストの犠牲になったという記録があります。避難先で亡くなった人もかなりいます。それらを加えると死者約十万人(約二十二%)という「ロンドン大疫病」として知られる歴史に残る大惨事です。

ロンドンでまだペストが流行している最中の一六六六年九月の深夜に、パン屋から出火した火事が四日間に渡って燃え続けるという「ロンドン大火災」が発生しました。この火災で多くの教会と住宅の八十五%が焼失した空前の大火災です。ところが、この大火災によりペストの保菌動物である家ネズミやそれに寄生している媒介昆虫のネズミノミが大幅に減少したおかげで、猛威を振るったロンドンのペストは一六六七年に入ると自然に終熄しました。

「庭の木からリンゴが落ちるのを見て万有引力を思いついた」という逸話があるアイザック・ニュートンは、当時、ケンブリッジ大学で研究生活を送っていました。ペストの大流行で大学が閉鎖になったために、やむなく故郷のウールスソープに帰りました。大学の雑事から解放された彼は研究に没頭しました。「万有引力の法則」、「微積分法」、「光の分光的性質」などのニュートンの三大業績と言われるものの基本構想はほぼこの十八ヶ月の避難生活時代に出来上がったそうです。わたしはかって所用でケンブリッジ大学に行ったことがあります。その時、学内を案内してくれたマウンダー教授が指差して「あの窓の研究室がかってニュートンが研究していた部屋です」と教えてくれたのを想い出す。

いま、日本政府はコロナ禍対策で、不要不急の外出は控えて自粛するように呼びかけている。自粛して余裕ができた時間をニュートンほどにはいかないまでも有意義な時間に活用できたなら素晴らしいと思っている。

♪ 分かるまい 上手にさぼるオンライン

(赤タイ)

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