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空海が修行した青龍寺
虫めがね vol.45 No.2 (2019)
二年前から四国八十八ケ所のお遍路の旅を続けているが、わたしは怠け者なので、まだ結願には至っていない。四国八十八ケ所とは弘法大師空海が四国の各地を布教して歩いた跡を訪ねる旅である。この度、空海が若い頃修行した中国の長安(今の西安)にある青龍寺を訪問した。今から千二百余年前に、若き空海が修行の為に日夜歩いたであろうその同じ石畳や廊下などを歩くのは格別の心境であった。
八〇四年に、真言宗の開祖・弘法大師空海は、最澄(天台宗の開祖)らと共に留学生として遣唐使船で、唐の都・長安に渡った、長安では青龍寺で真言密教第七祖・恵果大師に師事し、一年数ヶ月で密教の奥義をすべて伝授された。当時、青龍寺にはすでに大勢の修行僧がいたが、彼ら先輩僧を飛び越えて空海が密教の阿闍梨嗣を受け継いだことは、空海の驚異的な天才ぶりが窺い知れる。
大きな青龍寺の境内には、一九八二年に日中友好の印として、日本仏教界からの寄贈で恵果・空海記念堂が建立されている。その横には空海記念碑も建っている。庭園には日本の四国四県から千本の桜が寄贈され、春には八重桜が咲き乱れるそうだ。
空海は仏教と同時に中国の詩書、書道、天文、医薬学、土木技術などの知識を日本に持ち帰った。「弘法も筆の誤り」の言葉があるように、日本の三筆の一人、書の名人でもある。このような医薬学や土木技術の知識を活用して、四国各地を布教して回ったのが分かる。例えば第三番札所の金泉寺や第十七番札所の井戸寺などでは、水不足に悩む住民の為に井戸を掘ると霊水が湧き出たとか、第十四番札所の常楽寺では、糖尿病に苦しむ老人に弘法大師がアララギの木を煎じて飲ませると治くなったとかの話が各地に伝えられている。また、第五十六番札所の泰山寺には、毎年梅雨の時期になると近くの蒼社川が氾濫し、多くの人命を奪っていた。そこで空海は村人を指導し堤防を築き土砂加持の秘法を行ったと伝えられている。これらは空海が単に呪いや祈祷で成し得たのではなく、中国で得た当時最先端の知識を駆使して各地を布教して歩いたと考えることが出来る。
四国のお遍路は第一番札所の徳島県の霊山寺に始まり、第八十八番札所の香川県の大窪寺に終わる。ところが四国霊場会により、空海が若い頃修業した青龍寺が第零番札所と名付けられた。わたしはこのことは知らずに青龍寺を訪れたが、幸いにして第零番札所の印をもらうことが出来たので、これをわたしの納経帳の第一頁に貼り付けた。
♪手探りの迷路だったな夫婦道
(赤タイ)