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シラミがナポレオンのロシア侵攻を敗退させた
虫めがね vol.38 No.1 (2012)
先に、蚊がパナマ運河建設を挫折させたことを述べたが、今度は、シラミについて述べる。
フランスの英雄ナポレオンは西ヨーロッパ戦線では連戦連勝で、一八一二年ころには、ほぼヨーロッパの西半分を支配下に置いた。残る主要国はロシアとイギリスのみとなった。まずロシアを制覇する決心をしたナポレオンは、一八一二年六月下旬、フランス軍に同盟諸国軍を加えて総勢約六十万の大軍を率いてパリを出発した。迎え撃つロシア軍は約二十五万人である。ナポレオンとしては必勝の態勢で進軍を開始したのである。
出発して一ヶ月経ち、モスクワまで四八〇㎞のところに来たあたりから、コロモジラミが媒介する発疹チフスがフランス兵の間ではやりだした。シラミは長期間風呂に入らず、下着も替えないなど不潔な状態で大発生する。そして、発疹チフスリケッチア(病原体)をばら撒くのである。ナポレオンの大軍は敵の攻撃から身を守る為に、夜は塹壕を掘って身を寄せ合って野営する日が続いた。当然、下着の交換や入浴などは不自由な日が続く。それで、シラミが繁殖する好条件が出来上がることになる。それゆえ、当時は発疹チフスのことを塹壕熱、牢獄熱、不潔病などと呼んでいた。
発疹チフスにかかると、三八~四十度の高熱が出て筋肉痛、意識朦朧、混迷状態になり、とても戦闘どころではない。いまは、テトラサイクリン系の抗生物質があるが、当時はそのような薬はなく、死亡率が二〇~三〇%にも達する恐ろしい感染症であった。
フランスを出て二ヶ月半経った九月上旬、モスクワまで約一二〇㎞のボロディノに着いた時には、攻撃兵はわずか十三万人に減っていた。九月中旬に、ようやくモスクワに入城したが、その時の兵はわずか九万人であった。ナポレオンはわずか一ヶ月モスクワ城に居ただけでパリに向けて退却を開始せざるを得なかった。そして、パリに戻れたのはわずか四万人以下であったと記録されている。
ある歴史家の推算によるとロシア軍との戦闘による死者は十万人余りで、発疹チフスそれに一部赤痢などによる死者はその二倍以上の約二十二万人であったとしている。
シラミは捕まえると爪の上に置いてパチンとつぶすように小さな存在の昆虫だが、ナポレオンの六十万の大軍を敗退させたほどの大きな力を発揮した例である。
(赤タイ)